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歴史社会事象を<主観=客観の弁証法的発展構造をもつ有意味的な統一体>として把握しようとする理論志向

社会学とは「社会的行為を解釈しながら理解することによって、その社会的行為の過程および結果を因果的に説明する科学」

歴史社会事象を意味連関としての主観的文脈および因果的連関としての客観的文脈において統一的に把握すること

歴史社会事象の形成に参加する個々人の行動の動機(主観的意味)の理解を媒介しての、歴史社会事象の因果的説明ー因果的解釈ーこそ社会(科)学の課題である。

このような理解社会学に大きな影響を与えた一人としてフッサールをあげることができる。 人間事象を意味連関の統一体として理解する

『厳密な学としての哲学』

「内的直覚によって、精神生活の統一のうちに入り込んでよく調べてみると、われわれは精神生活のうちに支配している種々の動機づけを感知することができ、それとともにその折々の精神形態の本質と発展をも、精神的な統一を形作ったり発展したりする動機との依存関係において、<理解する>ことができる。このような仕方であらゆる歴史的なものは、その<存在>の特性において、我々に<理解しうる>ものとなり、<説明しうる>ものとなる。そしてこの歴史的なものの存在とは、全く<精神的な存在>つまり内的に相互に要求し合う意味の諸要素の統一であり、しかも内的動機づけによりその意味にしたがって、自らを形成し発展する統一なのである」。

この内的動機づけの意味に応じて自らが形成され発展するということの重大性は見逃してはならないであろう。

 

ここに歴史発展ないし社会変革の動因を見いだし、歴史の過程は、自然にひとりでに動くのではなく、人間の意図的な営みにほかならないことを導入する。

 

<理念>の重要性

人間行動は、歴史的社会的諸条件によって、とりわけ利害関係状況によって規定され制約されているが、それらの状況を変革するものとして<理念>の重要性を強調する。

 

伝統的社会学では社会の制度化された価値規範に同調する人間が主人公であるが、この社会行為論ではその価値規範を対象化し、社会構造そのものを自己の意識の対象にすることができる人間が主人公となる。

 

対象として認識し評価される世界は、個々人に応じて多元的なものであるが、ばらばらではなく、自己と他者との相互主観性により共有されるものである。

 

「こうした主観性の主体的性格は、それが世界を捉える際に、網膜において、志向性を介入させることによって独自な方法で絶えず世界を組織する仕方にも現われている。こうして形成される個的な世界はあちらこちらで交錯することによって、共主観的世界が創出され、視覚の世界が形成される。どの一つの主観性も<現実>の決定版を提供するわけではない。各々がそれぞれの現実の特定の像をもっている。各々は、自らの体験に存在論的意味と解釈を付与する。こうして全主観的相対性の世界が創りだされるのである。」

 

<自己ー他者>のコミュニケーション過程で、相互主観的なシンボル世界が形成される。

 

理念は人間の意識作用(ノエシス)による最高の意識内容(ノエマ)としての創造物であるが、意識は本来、主観能動性として、存在に積極的に働きかけ、社会および個人の機能的要件を充足するための高次神経活動であり「習得的情報処理の基体」としての人間主体性の確立を可能にするものである。

この能動性が、社会発展の動因であり、歴史的発展をもたらすもの。

 

意識には志向性がある。それは、その対象を一定のコンテクストのなかに位置づける。人間の行為の能動性の前提条件である。

ヴォランタリステイックな社会行為論

現存の社会システムの変革につながるものとして位置づける。

現行の社会システムのありようを認識評価することにより、そのありようを超克するために、新たなるありようの世界を構想し、現行のありようを制御しながら変革する。それをなすことができるのは、他者との共同ないし相互主観的世界において。

 

エチオーニの能動的社会論 マクロ社会的行為論 個人ではなく集合体

1 自意識的・認知的行為主体

2 実現を目指してコミットする目標

3 社会的コードの組み替えを可能にする手段の入手