資料11 林道義著『主婦の複権』講談社 1998年

 

1.著者の結論であり伝えたいメッセージ

・主婦という存在は家庭の要。

・家庭は子供の成長にとって極めて大切。

・主婦の仕事は人間が生きていくうえで最も基礎的な大切なもの。

・次代の子供を健全に育て、家族の命と健康を守り、美しい心を育てる家庭を再生させるためには主婦の価値を見直す必要がある。(30)

 

・主婦の復権とは、「美しい主婦」の復権であり、それは、精神的に自立し、優しい心と母性をもって子供を育て、健康を守り、家庭をまとめている主婦。(第1章参照)

 

・家事は人間が生きていくうえで最も大切なことであり、お金に換算できるものではなく、愛情が基礎にあってはじめてできる無償行為であり、無限の価値を持っている。(42)

 

・主婦の復権は、主婦が主体的に生きるとはどういうことかを考えることにあるという、主婦自身の態度いかんにかかっている。

 

・男性と女性とが平等に協カして、よい家庭を作る事が、よい社会を築く基盤である。

 

2.現在、主婦の価値は二重に落とされている。(1)

  男性によって低められてきた。フェミニズムによって徹底的に貶められてきた。

 

・家庭が崩壊の危機にさらされている。

 主婦が自信を失っている。主婦というあり方が無価値だと思い込まされ、生きがいを見失う主婦が増えている。(20)

 

10年程前から質的な変化(20)

 夫が家の仕事に理解がない。夫の家父長的な威張った態度。

 より深刻なものへと変質。

 フェミニズムの影響一「女性の生き方」一女性よ働け、専業主婦は夫に依存した時 代遅れの存在。一心が動揺し、自信を無くし、ストレスを受けている。

 

・主婦を苦しめる三重の構造(26)

(1)主婦という存在の矛盾

 仕事が家の中だけに偏りがち。毎日同じことの繰り返し。同じ人間とだけ顔を合わせ生活に新鮮味が無くなる

(2)夫の無理解一「楽で気楽の商売」「三食昼寝付き」

 

(3)フェミニズムの影響。いわば世論のような形で大衆の中に浸透している。

 

この問題を解決するためには、

 (1)主婦という存在の持つ意味と歴史的意味を明らかにする。

  (2)フェミニズム理論の批判的考察が必要。

 

3.<いい加減なフェミニズム理論>

  たいていの本がいい加減で、程度が低いが、その影響力は多大。

  (1)多くの主婦が家庭を捨て、外で働くみちを選択。

  (2)家事をおろそかにして、遊び歩くものも出てきた。

  (3)不倫をして家庭を捨て、「自分に正直に生きる」「母ではなく女にな

る」と正当化する。

 

4.家庭の崩壊

(1)「おかあさん」がいなくなる(31)

  ・女性は母である前に一人の女でなければならない。

  ・母であることは子供に縛られることであり、自律の妨げになる。

  ・結果として子供を犠牲にしている。

  ・社会的に活躍し、仕事と家庭を両立させていると称する女性の家庭を見

ると、実にその家庭は崩壊しており、問題を起こす子供が多い。

 

(2)「する母」と「いる母」(32)

  ・母としての役目は最低限やっているが、母性が感じられない「する母」の増加。

  ・「いる」というだけで子供が安心するような母、子供にこころを向け、見守っている「いる母」の減少。

 

しかしただいるだけで、子供がうるさい、面倒だという態度をとる母親に育てられると、母に愛されている感じをもてない人間になる。

(3)母性不足の子供の症状(35)

   非常に攻撃的(他虐的)になる場合と、自虐的になる場合がある。

   学級崩壊の要因となる。

 

(4)能面のような表情

  ・感情を表さないことが習慣になっていて、そのために顔に表情が無い。

  ・幼児期に他人に預けられ集団に放り込まれると、攻撃性の強い子がのさばり、弱い子は攻撃を避けるため、自分を出さず、黙って自分に閉じこもる。学校へ行くようになってのその傾向は続き、家へ帰っても、母に甘えることができないと、子供は感情を出す場が無くなる。

 

母親が働いている子供に無表情なものが多い。その上に、がさつになり、マナーも悪く、自分勝手な子供となっていく。

 

(5)心理療法では治らない「癒し」のきかない子供たち(38)

  ・心の病は簡単に治るものではない。

  ・単純に母性が欠如している場合は比較的簡単に治る。

  ・父性の不足が原因の場合はほとんど治らない。

 

父性と母性の両方が不足している場合は絶対というほど治らない。悪いことにこの場合が圧倒的に増えている。鬱病、心身症、神経症、強迫神経症。

 

(6)働けイデオロギーの圧迫(40) 第2章参照

  外で働く仕事だけが、価値があるという思想。専業主婦は夫に従属している「哀れな」「遅れた」存在。

  女性としての主婦の部分は否定され、家事は軽蔑され、手抜きされる。

 

(7)母性本能の否定(43) 第4章参照

  幼児にとって母が必要だという説は、仕事至上主義にとって都合が悪い。

 

第1章 美しい主婦達、醜い主婦達(49)

<美しい主婦達>

1.時間の余裕と心のゆとりが可能にする美

 専業主婦の形態は、これまでの歴史の中で最も人間的で、最も進んだ形態である。

余裕とゆとりによって主婦はどのように美しくなれるか。

 

(1)愛情をかけて子供を育てている主婦達(51)

   専業主婦は自分の子供を自分の手で育てることができる。母子の一体感により、子供の心も安定する。母(および父)に信頼感を持っている子供は、他人に対しても信頼感をもって接することができる。

 

青年期になって心の病が出てくる者は、必ずといってよいほどに、母の愛情が不足していたもの。心の病にならない者は、他人を傷つけること、意地悪をしたり、陰険ないじめをすることにより代償している。(54)

 

(2)家族の命と健康を守り、地球とその環境を守っている主婦達(55)

(3)暖かい、ゆとりある家庭を持とうとしている主婦達(59)

  ・日常生活での「ふれあい」、家の中で、近くの公園で、毎日遊ぶことができる。

  ・「一家団欒」、今日一日の出来事を話しあい、意見をいいあったりすることが子供の心の成長にとって、大変大切な働きをする。(60)

 

(4)家事を上手に楽しんでやっている主婦達(62)

  衣食住は人間にとって最も基本的な営みであり、上手に管理することは、人間的な生活の質を向上させるために大切な仕事。

 

(5)家の外で有意義な活動に参加する主婦達

  主婦は地域での活動や、共同の仕事をすることができる。様々なボランティア活動、他人の役に立つ仕事ができ、生き生きとした活動をしている姿は美しい。

 

(6)家族愛の中心となっている主婦達(67)

  父は家族の価値観の中心であり(『父性の復権』参照)、母は家族愛の中心でなければならない。

 

近代家族が誕生し、家族愛が大切だと考えられるようになり、親子の情愛がよいものであり、大切であるという観念が社会的なものとして生まれた。とくに中心なものが母の愛。子供を産み、養い、育てるという機能的な面だけでなく、子供の心を優しく育むという母性の面が非常に大切だという思想が生まれた。

 

 

<醜い主婦達>

・不自然に若く見せることばかり考える主婦達(68)

・家事をサボってテレビばかり見ている主婦達(71)

・やたら外出し遊び歩く主婦達

・公共の場でバカ騒ぎし、傍若無人に振る舞う主婦達(72)

・自分で料理を作らないで、出来合いのお惣菜ばかり食卓に出す主婦達(74)

・酒場通い、カラオケ、パチンコに熱をあげる主婦達(75)

・テレクラ、不倫に走る主婦達(76)

・自分の見栄ばかり考えて子供の受験に熱を上げる主婦達(77)

・タバコを吸う主婦達(78)

・夫の悪口を言う主婦達(79)

 

第2章 働けイデオロギーの欺瞞性(85)

    主婦を醜くし、不当に貶めている最大の元凶はフェミニズム。(83)

    その間違ったイデオロギーの最大のものが「働け」イデオロギー。

 

1.主婦を貶める軽蔑言葉。

  参照87

 

 (1)自立とは個人個人が砂のようにバラバラになることではない。(88)

   精神的な独立という意味では、夫婦が助け合っている関係の中で、家族で協力しあって中でも可能であり、望ましい。

 

   働けイデオロギーでは、外で働くものだけを「働く者」と定義しており、その結果、女性は現在の劣悪な男性の労働条件のもとで働くことになり、非人間的な状態に追い詰める傾向を持つ。

 

(2)「たかだか二百年」

  最近になって生まれたものに過ぎず、底が浅く、すぐに生滅する。主婦は消えていく運命にある。

  主婦という形態には何かよいところがあるからこそ、生まれると全世界的に広まり、200年「も」続いている。

 

2.自分を正当化する美しいごまかし言葉(94)

参照95

 

(1)夫が死んだとき困るから(97)

  夫が死んだり、離婚したときの保険代わりに働くのか。それなら、保険をかけておけばいいし、そのときは働くという覚悟をしていればよい。

 

(2)泣き叫ぶ子供を預けて音楽を聴く

  一般論では、乳幼児のときに、急に母親から分離させると、いわゆる分離不安を感じ、人間不信のもとになったり、何回か繰り返すと心理的抑鬱状態になって感情的反応が鈍り、怒りや憎しみや反抗的な態度などの攻撃性を持ちやすくなる。

 

(3)「しなやかに生きる」とは「どれもいい加減」ということ

  実は仕事も主婦業も母親役も、いずれもいい加減で、どれも落第という女性が多い。

 参照101〜103

 

(4)女性が自分で決定したことなら何でも正しいのか?(104)

  自分の都合、自分の好きなように決定することだけで、良識ある自己決定というものではない。

 

こうした主張の前提に、「女性が外に出て働くことは女性解放にとってプラスであり、価値がある」「女性が家にいて主婦でいることは、男女平等にとってマイナスであり、女性解放にとって裏切り行為だ」という考え方がある。(105)

 

3.「働け」イデオロギーの心理分析

(1)横暴な父や夫への反発(106)

  何故経済的自立を最高目的にしているのか?それは横暴な夫の性差別に対して戦わなければならないから。家庭の中での性差別をする男性は、「稼いでいるのは俺だ」という言い方をする。(107)

 

(2)売り言葉に買い言葉(108)

  「食わせてやっている」、「じゃあ自分で稼ぐ」。「男女平等なんてなまぬるい。

 今度は女が支配することを目指すべき」というようになる。

 

(3)夫も妻も「金銭」第一主義(109)

  経済至上主義がその背後にある。「稼ぐこと」第一主義。拝金主義。

 

  こうした個別的な解決方法には問題点が残る。(111)

 

(4)家事が嫌いな女性(112)

 

(5)男女双方にコンプレックスが(113)

  男性には女性に負けたくない、女性の仕事の価値を認めたくない。

  女性も家事に対するコンプレックスから逃れるために外で働く。

 

4.「働け」イデオロギーの功罪(127)

  能力は個人として評価すべきであり、性別によって差別をしてはならない。その意味で、外で働くことに向いている女性や、働きたい女性が働くことはよい。反対する点は、外で働くことだけが価値があるとか、働かない女性は人にあらずと言った思い上がった思想である。(128)

 

 罪悪としては、「働く」ことに邪魔になるもの、家事、育児などの家庭内の仕事の価値が否定され、排除される。(129)

 

彼女らが嫌うものは、家族への精神的な配慮、気配り、心遣いなど。

 こうして、一家団欒も否定される。(130〜131)

 その上に、わがままで利己主義となり、詭弁を弄するようになる。そして、働いていれば他のことはできなくともよいという結果が、モラル、マナーの放棄。(132 〜137)

 「がさつ」な振る舞いが新しい女性像として肯定され、日本文化、日本的美意識、「おしとやか」「つつしみ」は捨てるべきだという。

 

 女性には女性特有の美しさがあるという考えがいけないという思想。(141)

 

「働け」イデオロギーのもたらしたもの

 (1)家庭の分解、子供のしつけの放棄、子供への愛情の軽蔑

 (2)モラルやマナーの放棄

 (3)科学技術への無批判な依存、力の思想・進歩思想への隷従

 (4)専門馬鹿、教養のなさ

 (5)視野の狭さ(給与水準を低下させる)

 (6)「多様な家族」論によるわがまま(安易な結婚や離婚)の正当化

 

第3章 主婦をどう評価すべきか

1.主婦はいかに成立したか

  専業主婦とは賃金を得る仕事につかないで、もっぱら家にいて子供の世話や家事をする女性。何時、どのようにして生まれたのか、歴史的にどのような位置にあるのか。

 

 (1)近代の産物

   産業革命による工業化の結果として生まれた。仕事場と家庭が場所的にも分離し、仕事は男性、家事は女性という観念が支配的となり、女性は仕事をしないほうがいいという観念が広まった(151〜152)

 

 (2)父権主義的な主婦理解(152)

 

2.フェミニズムの主婦評価

 (1)家事の共同化、育児の社会化を進めるー社会主義の婦人論(154)

   集団保育を是とし、個の自立が無視されている。すなわち、子が自立していく最初の経験としての家庭の意味は無視され、共同化の前段階である、ある程度の個人としての個性ができ上り、その個人と個人の関係のあり方が学習されるべきという問題は考えられていない。

 

 

 (2)男女同型論と「個の自立」ー近代主義フェミニスト(161)

   男女の違いを単純に否定し、区別することさえ差別につながると批判。

   夫に従属しており、自立していない。自立するためにはまず経済的に自立することだという。

 

 (3)家族愛と母性が悪いーラディカルフェミニズム((168)

   近代の原理そのものの中に女性差別の根源がある。近代家族は、「性別役割分担」を完成させたもので、「性別役割分担」は悪いものであり、それを担っている主婦という存在は悪い。つまりは「主婦を生み出した近代家族は悪い」「近代家族を生み出した近代という原理が悪い」。

   「愛や母性などの感情的な要素」がよくないという。それは、女性をとくに母親を家の中に閉じ込めて、男性に仕えるようにするための「神話」であるという。

  (173)

 

 (4)二重に抑圧される存在ーマルクス主義フェミニズム

   家父長制が資本主義の市場メカニズムを支える役割を果たしている。女性(主婦)の二重の抑圧(搾取)を論じている。

 

 フェミニズム各派に共通の誤りとして、「性別役割分担」の否定がある。(188)

「差別と男性支配」の元凶と見なす。

 

3.歴史的に最も進んだ形態としての主婦(196)

  愛情が成り立たせる主婦であり、愛情こそ、近代家族に現れた歴史的に新しい要素であり、人類がこれから最も大切なものと選択していくもの。

  近代家族の特徴としての「家族愛」のもとになっている「感情」や「情緒」といわれる性質は、人間の家族の中に現れた新しい性質であり、それが家族にとって大切だという考えは近代のもの。

  「愛情」にはある程度の生活の余裕が必要。愛とか母性、父性といった感情に関わる面は、これからの人類にとってますます重要な役割を果たす。(201)

 

第4章 「作られた母性神話」という神話

1.母性本能は神話か(206)

 (1)母性は持っていなくともよいというフェミニスト達

 (2)どうしたら母性を持てるようになるかという視点の欠落

   子供の立場からの視点が欠如している。母性を与えられない子供はどうなるのか。

 

女性は母性は生まれつき持っており、その母性と父性が両々あいまって子供が健全に育つ。その意味で、母親だけに子育ての責任を負わせてはならない。(209)

2.「作られた神話」という発想の誤りと危険性

 「母性は本能ではない」というフェミニスト達の論証は大変お粗末でずさん。「本能と学習」についてのいい加減な理解を基礎にしている。

 「根拠の無いことを一つの理論体系にでっちあげ、それを一律に当てはまることとして他人に強制する」こととなり、作り手とそれを信じる人々がいる。

 

 (1)「三歳児神話」という神話

   「子供は三歳になるまでは母親のもとで育てるのが望ましい」とは神話

であるという。根拠は、「専門の心理学者がそういうことを証明した」とい

うだけで、誰もその論文については読んでいない。あるいは「いくつかの

ケースを観察したが、三歳以下で他人に預けても弊害は見られなかった」

という。

   「働く女性のために都合が悪い」となると「神話」のレッテルを貼って葬

り去ろうとする。(230)

 

 (2)新しい神話を作るフェミニストたち

   集団保育は多くの人と接することができるので、むしろ子供にとって有

益である。批判力無い女性達はそれを有難く信じて、安心して子供を他人

の手に預けて働きに出る。

 

3.母性本能否定の心理と病理(234)

  「子供だけ」に「埋没したくない」「文化的なものにいつも触れていたい」

「人間として向上したい」「自分の時間が欲しい」という心理。

  子供を育てることが、人間的文化的でないかのようであり、人間向上の邪

魔だといわんばかりであり、子供と一緒にいることが「自分の時間」でないよ

う感じている。

 

 (1)近代理性主義の本能蔑視

 (2)本能蔑視と「実存的不安」

   

現代の若い母親が感じている焦燥感、子供だけに埋没したくないというアセリの心理は、こうした近代特有の本能否定の理性主義の悪影響からくるものであり、その偏りを無意識のうちに、体質の中に持ってしまっている女性の病理。

事例 参照243〜248

 

4.母性とは何か

  母性とは、母的な性質であり、その性質は女性が生まれながらにして可能

性として持っているもの。「保護し、世話をし、養い、育て、守る」形で現れ

る「慈しむという優しい心の働き」である。

 

(1)母性本能と愛情(260)

   母親の側と子供の側との相互のやり取りの過程の中で、母性愛という感

情が発展し、子供は家族やとくに母親に対して特別の愛情をもつようにな

り、母子の絆が確立されていく。

(2)母性発現を促進する、および妨害する条件(268)

   促進する要件:妊娠、出産、子供の顔や姿を見る、抱くなどのスキンシ

ップ、授乳、その他の世話をする等。

 

  妨害する条件

   ・現代文明そのものから来るストレス

   ・夫(および家族)の愛の欠如

   ・子供以外のものに価値を置き、母性を攻撃する思想の悪影響

 

現代人で心の病に冒されている人々の非常に多くは、実は父性の欠如と、母性の欠如が原因だとしか考えられない場合が圧倒的に多い。現代の時代精神は、母性を必要としている。症例:参照274〜276

 

母性の復権と家族と家庭の復権が望まれており、その両方の復権のために主婦の復権が必要とされる。家族は社会の細胞であり、基盤であるから、絶対に解体させてはならない。

戦前の父は威張り過ぎ、戦後の父は不在である。その上、女性達の間に家庭軽視がはびこっている。だから家庭の復活ではなく、家庭の再編を考えるべきである。父性と母性が対等に協力しあえる家族を改めて創造していかねばならない。(292)