ニーチェ (1844.10.15-1900.08.25.)
「生きるに値する生は、どのようにして人間に可能であるか」ニーチェの基本課題。
芸術
ここにおいて、このように意志が極度に危機にひんしたとき、意志を救い、治療する魔術師として近づいてくるのが、芸術である。ひとり芸術のみが、存在の恐怖や背理からくるあの嘔吐の思いを一変させ、人間に生きがいを与えるさまざまな表象へとこれを変える力をもっている。(p491)
<早大 手塚耕哉氏>
若き二ーチェのショーペンハウアー体験と以後の彼の哲学的出発期の思索を考える場合、ランゲ〔Friedrich Albert Lange)の主著『唯物論の歴史』との邂逅は、極めて重要である.「われわれにとってのショウペンハウアーの値打ちを最近刊の書物「ランゲの主著」が僕に始めて、まさに明瞭にしてくれた。」(1866年8月末、ゲルスドルフ宛書簡)という二ーチ工の言葉は、それを端的に物語っている。彼に解き明かされたのは、ショーペンハウアー哲学が、人の心を高める(erbauen)「概念詩」(Be〓riffsdichtun〓)、つまり芸術としての哲学である、という事であった。ここでランゲ独特の用語である「概念詩」を、唯物論者の投げつけた蔑称などと受け取るならば、意味関連は全く不明になってしまう.またランゲは唯物論者ではなく、認識論上「厳格な批判的立場」(二ーチ工)を堅持するカント学者である。ランゲの立場からすれば、「概念詩」としてのショーペンハウアー哲学は、形而上学としては、認識論上批判されるべきものだが、芸術としての哲学としては肯定すべきものである、と二ーチェは読んだ。即ち、彼はこの見解の微妙な論理を理解したのである。ランゲは当時の生理学の知見から、〈われわれの感覚、表象等認識の一切は、われわれの有機組織によって条件付けられている〉という命題を導き、認識における総合的・創造的要因が、感官の受け取る最初の印象にも、また論理の諸要素の中にまでも入り込んでいる事を認める。つまり芸術的創造に類似のもの、虚構や抽象等が認識の過程で協働しており、従って事物の絶対知などはあり得ず、相対的な知しか得られないのである.この意味で全現実はわれわれには「現象」(Erscheinung)でしかないとランゲは言う.これは、「真理」(〓ahrheit)はわれわれにとっては「真らしさl(〓abrscheinlichkl〓it)としてか捉えられないとも言い得るだろう。「真理」には決して達し得ないこの「現象」或いは「真らしさ」こそ、ランゲがその認識論的立場を堅持しながら、哲学はもっと自由な「概念詩」であっていいと(或いはそうあらざるを得ないと)言い放ち得た根拠であると考えられる.このランゲの真理認識論を二ーチェは彼の哲学的思索の出発点としたように思う.ショーペンハウアー哲学は「概念詩」として、彼の稀有な個性の産物であり、二ーチェの個性はまた別である.このような認識が以後彼のショーペンハウアー哲学に対するスタンスを規定したのではないか。例えば、未完のノート『ショーペンハウアー論』に見て取れる余裕ある様子、或いはそれが放棄された事実はその反映であろう。これと著しく対照的なのが同時期の未完のノート『カント以降の目的論』である,そこでは、ランゲにおいても中心問題であった有機体に関して、〈個体〉、〈生〉等の表象や概念形成をめぐり、限界領域での激しい思考か展開されてゆく.彼自身の「概念詩」をわれわれは『悲劇の誕生』まで待たなければならないのである。
一応言葉で表現してみるとそういうことになるということである。それが真理ではない。真理は言語では表現できない。言語で表現されたものはまさに「概念詩」である。言葉の世界に真実があるわけではない。今迄は先入観としてそう思い込んできたようである。
「ここで厭世主義といわれているものは、ショーペソハウアーの思想を借りながら、すでにそのペシミズムとは別の性格になつている。生の根本を、意味も目的もない盲日の意志と考えるショーペンハウアーは、生を否定的に見、最終的には生からの解脱を目ざすが、ニーチェの取ったのは、意味も目的もない暗黒の生を、それにもかかわらず肯定しようという立場である。ショーペソハウアーの「弱さのペシミズム」に対して「強さのペシミズム」である。あふれ出る過剰な力が、生の苛酷さと破壊とを是認する厭世主義である。ここにすでに、ニヒリズムを能動的に受けとめようとする後年のディオニュソス的肯定、運命愛の萌芽がみとめられる。」手塚(p24)
意味も目的も無い生という認識
ソクラテス以降の主知主義から頽廃が始まる。まさに現代もこの主知主義に覆われている。人間の頽廃である。知識至上主義が生まれいづる所以である。この尺度で人間を量っている。根強いものである。
「人生はそのあるがままの姿において、意味もなく、目標もなく、無への終局音もなく、しかも、不可避的に回帰する。すなわち永劫回帰。これがニヒリズムの極限の形である。すなわち無(意味なきもの)の永遠!」
「神の死」
ハイデガーの引用によつて有名になつたこの書の断章二一五番では、白昼にランプに火をともして市場に走つてくる「狂人」のことが語られている。「わたしは神をさがしている!」と叫びながら走りまわる狂人は、たちまち民衆の物笑いの種となる。するとかれは「神はどこへ行つたのか。私がそれを教えてやろう。われわれが神を殺したのだ!.おまえたちとわたしとが!….神は死んだ。死んだままだ!そして神を殺したのはわれわれだ!」と言う。この狂人は、神を殺し、その死を告げ、神をさがすというじつのことを口にしている。「神の死」という有名なニーチェのことばがはしめて現われたのは、この断章においてである。このことばを思弁的に最も深く、歴史的に解釈しているのは、ハイデガーであつて、かれはその論文「ニーチェの言葉〈神は死せり〉」で、この神はプラトン哲学以来のもの、したがって、超感性界一般、広い意味での彼岸の世界、「真」なる世界、形而上学的世界全体をさしている、と解釈している。(p35)
ヨーロッパ形而上学全体が終わつたことを意味する。それは彼岸と此岸、真なる世界と仮の世界という対立的思想そのものの終焉である。しかし、「狂人」のことばに市場の民衆が耳を傾けないように、近代人は神を信じないか、またはただ漠然と、神の「影」をあいかわらず信じている。教会の権威が消え去ると、良心の権威がこれにかわり、理性の権威、科学の権威があとをつぐ。進歩の観念や最大多数の最大幸福が「神」になる。いいかえれば、中世における救いの確実性がデカルトにおいて人間の認識の確実性というものにかわったとき、つまり人間が神を創ったとき、神が死んだのである。「われわれが神を殺したのだ!おまえたちとわたしとが!とは、デカルト以来の近代の主観主義的な形而上学が神を殺したことである。そうハイデガーは言つている。(p36)