人間の生の意味の探求
ーその探求方法としての
「比較思想」の妥当性についてー
中央学術研究所
大山隆一郎
<はじめに>
人間として生きていることの意味について、つまり人間の生の意味について思索することは、人生の土台造りであると思われる。これをないがしろにしては、人生という建築物は、砂上の楼閣となってしまうであろう。人間としていかに生きていくことが真実であるのか。いかにすればその真実を見いだすことができるのか、誰しも一度は問いかけたことがある人生の重大事であろう。
人間の生に本来的な意味があるのか。いやむしろ、こうした一般的な問いかけよりも、自分はなぜこの世界に生まれたのか、なんのために生きているのか、自分の生に意味はあるのかと自問自答してみることであろう。この地上に生を受けたものは、誰しもいつかは死を迎えることとなるが、死の意味するものは何か。そして死後は一体どうなるのか。無に帰するのか、それとも死後の世界はあるのか。こうした切実な問いかけと、何も明確に解っていないという絶望が、繰り返し沸き起こってきているのが現実の人間の姿ではないだろうか。
こうした人生の重大事に関し、さまざまな領域において、さまざまな方法で探求されてきている。宗教、哲学、芸術、文化そして科学も含め、人間に関わるすべての営みは、それを探求するものであるといっても過言ではない。中でも、宗教、哲学は直接そうした課題に関与してきた領域である。
宗教というものは、こうした人生の重要課題に対し、明確な解答を与えている。しかし、宗教の数は無数であり、聖典・教典の数も多い。仏教などは八万四千の法門ともよばれており、無数の経典がある。
哲学にたずさわる者は独自の思索を重ね解答に迫りあるいは解答を与えている。その著作集はおびただしい数にのぼる。この営みは、現在においてもなされており、将来にわたり、人間が生きている限り続けられていくであろう。
しかしながら、ここで展開されている世界観あるいは人生観が、取捨選択のふるいにかけられた上で、自分自身の立脚点となっているかは別問題である。この自分のものにするという過程の解明も必要とされる。
いかにすれば人間の生の意味を見いだすことができるのか。はじめに、その方法について考察してみたい。
いかなる方法を用いて人間の生の意味に迫るか。生の意味は探求できるものであるのか。できるとすればいかなる方法により可能なのか。その方法論としては「比較思想」をとりあげたい。
<なぜ「比較思想」なのか>
その理由を考察してみる必要がある。過去の歴史においても、比較という精神的営みは真理を探求するうえでなされてきた事実である。別に目新しいものではない。しかしながら、現代ほどグローバルなレベルで諸思想の、特に東西の思想の比較検討が必要とされている時代はなかったであろう。
現代に到り、運搬・通信技術の飛躍的な進歩により、グローバルな時代となり、人の交流、情報のやりとりが短時間のうちになされ、私たちの日常生活そのものが東西の交錯のうえに成立している。私たちが居住しているこの地球は、宇宙船地球号とも呼ばれ、あらゆる地域の事柄がひとつの共同体の如くに、知られるようになっている。この共同体に住する民族は様々である。しかし、「人間は人間である限り、同じような苦しみや悩みを持つとともに、同じような高い理想を志向して努力する。その限りにおいては、いかなる民族にも本質的な相違はない。思想的な問題は、東西に共通である」。(注1) この考え方が「比較思想」の前提となっている。
峰島旭雄(敬称略)は『比較思想をどうとらえるか』の中で、「比較思想」のワーキングハイポセシスとして、「東西思想を比較して、その類似と相違を摘出する」(注2)ことをあげ、この背景には、人間の本質的構造が横たわっていると指摘する。それは、「内から私どもの生存の根底から、湧き上がるように現出する」(注3)ものであるという。
日本においては、古来、そしてとりわけ近代(明治期以降)には、「比較思想」ということは避けて通れない、精神的営みの問題であり課題であった。換言すれば、日本思想史においては、神仏儒、キリスト教、西洋思想というように、さまざまな思想の層が輻湊した形で事実性として現前し、それらを何らかの仕方で整理、統合し、そして対決し、融合し、自己のものとなしつつ、生き死にするということである。
川田熊太郎(敬称略)は、「私は一日本人であるから、比較哲学の課題に当面し、そしてその解決に苦慮している、というより以外のことではない。」(注4)と述べている。そして、「その時その時に与えられたものに満足し、その時その時に支配的なるものに従って満足しているものにとりては比較哲学は必ずしも必要ではないであろう。」(注5)とも言う。確かに何等思索することなく、欲望のおもむくまま、刹那的な生活をしている者にとり必要性は感じられないであろう。しかし、真摯な生き方を求める者にとり、諸思想の対決は余儀なくされるであろう。 「諸思想、諸哲学のうちのいずれが真なのであるか、どこに自分自身をして立脚せしむべきか、この種の問をみずから発し、みずからその解決を試みなければならぬ。」(注6)と、そのあたりの事情を物語っている。
そして「このように反省と考察とを加えてくると、比較哲学ということそのものが既に自伝的、日本思想史・日本史的、世界思想史・世界史的なのである、というのは我々の各自は一個人として、日本人として、世界人類の一人として生き老い死んでゆくからである。」(注7)と述べている。
諸文明、諸思想が相互に交錯する現代、そして一つの共同体となった地球上に住する一個人として、自己の生の意味を探求する者にとり、「比較思想」とは、不可避の営みであるということができよう。
<「思想」が意味するもの>
次に「比較思想」の「思想」という表現が意味するものは何かを考察してみたい。
中村元(敬称略)は、わが国における「比較思想」の分野での金字塔と評されている著作である『比較思想論』では、西方ではギリシァおよびヘブライに源を発する西洋哲学、中東のアラビア哲学、東方ではインド哲学、シナ哲学といった哲学思想だけでなく、宗教聖典や文学作品の思想、そして哲学や宗教を排斥する思想をも含め、人間である以上有している根本的な思想を考察の対象にしている。そして『思想をどうとらえるか』の第1章、生きた思想とはのもとでは、日本の思想に関する学問研究の状況を批判している。すなわち、日本においては、これまで思想に関する学問研究はあったが、それが真実の意味において思想を研究し、批判するということになっていたかどうか疑問であり、学者は、ただ原典の中味をおうむのように伝えているだけではないかと述べている。その上に、セクショナリズムと権威主義がはびこっていることを指摘する。
そして、和辻哲郎の言葉を引用し、「日常の言語から遠のいた哲学は決して幸福な哲学ではない。思えば永い間のラテン語の桎梏から猛然として己を解き放した百余年前のドイツの哲学者たちは、それによって同時に哲学をば溌剌として生きたものにしたのであった。かかる仕事はまことに大力量の士を必要とする。が、大力量の士は彼を待望する時勢によって生み出されてくるのである。われわれはここにかかる待望の声をあげる。日本語は哲学的思索にとって不向きな言語ではない。しかもそれは哲学的思索にとっていまだ処女である。日本語をもって思索する哲学者よ、生まれいでよ。」(注8)と喚起している。
しかし、このような呼びかけにもかかわらず、西洋の述語にただ漢字を当てはめただけで、日本語で思索する思想家は極めてまれであった。こうした反省から、生きた思想を、東洋とか西洋とか、そういう狭い枠を取り外して世界的に広く見て行かなくてはならないという。
西の世界においても、哲学者、思想家の事情には相違がないように思われる。著名な精神分析学者であるユングは、思想家を揶揄するかのように、思想家というものは、そもそも思考するとは一体どういうことかよく解っていないとさえ言っている。むしろ一般の者こそ端的に理解しているとする。(注9)
村上泰亮(敬称略)は、思想について「何も取り立てて大仰なことではない。哲学として書かれ、評論の対象になるような作品だけをさすのではない。思想とはつまり、物事をできるだけ筋を通して考えようとすることであり、『考える』という表現が狭すぎれば、できるだけ広い一貫した世界風景(イメージ)をもとうとすることだといってもよい」(注10)と述べている。思想の内包がさらに言語からイメージへと広がりを見せている。
思想に関してさまざまな見解があると思われるが、ここでは、従来のように概念構成の精緻を誇る体系的哲学のみを思想とするのではなく、名もない市井の人々が語られたものをも含め広義に思想をとらえたい。つまり、現実に生きている人間にとり、己の精神的諸問題、社会的実践の問題の解決に資する思想そのものを対象にする。形骸だけの死物同様の思想ではなく、人々の心に浸透する生きた思想でなければならない。思想とは、一つのものの見方、考え方、感じ方であり、それは実践を規定するものであり、また実践を通して修正されるものでもある。
<「比較」について>
次に「比較思想」における「比較」とはいったいどうすることであるのか。「比較」ということは比べることであるが、世界的視野で個々の思想をみる場合、何をどういう基準で比べるかが問題となる。この「比較思想」における課題と方法については、川田熊太郎、中村元、三枝充悳、玉城康四郎、峰島旭雄の所論を比較考究し、概観してみたい。(注11)
川田は、「比較思想」の課題は、「自他の吟味と位置づけである」(注12)とする。これは多少説明の必要があろう。ここでいう自とは個人として、国民として、そして世界人類の一員としての自己のことである。他とはこの自と種々の関係にたつものである。この自他の吟味と位置づけをするためには、次に説明する六つの段階が必要とされる。
人間は、思想的に自己を反省したとき、自国語が主体となり思想を形成しており、そして多くの思想の流れがあることを発見する。すると言葉の使用を吟味しはじめ、そこにある国語の言葉の意味とともに、影を落としている諸思想の本来の意味を探求しはじめる。この段階を解釈学的研究と名づける。
次に諸思想を知ろうとするときに、探求されるべきものは、それらの諸思想の根底となっている形態であるとする。この形態とは、その思想が発芽し繁茂するところのもので、他の思想とは異なるものである。この根本の形態が捕らえられたときに、人間はわかったと感じるという。これを形態論的研究と名づける。
ここで発見された根本の形態は、その思想の生命の源で、自己を展開する鋳型である。ここからその思想の歴史、系譜、系統が成立する。次に明らかにされなければならないものは、この歴史であるとする。これを歴史的研究(系統的研究)と名づける。
このように根本形態を持ち、歴史を作っている思想は、その展開発展が区分され、まとめられている。これはその思想の体系を形成し、他の思想との違い、特質を表現している。この段階の研究を体系的研究と名づける。
比較思想の研究は、この段階で終わりになるわけではない。研究者はさらに、労苦が多く、困難が多くとも、最終段階の研究を始め終わらせなければならないとする。最後の研究部分とは、選択的考究と問答的研究である。
選択的考究とは、眼前に展開する諸思想について、真理性と効用性と自己の根本体験とに照らして考究し、選択、取捨をすることである。そして、自己の足場を確定することである。しかし、取捨選択したにしても、取捨せられたものは死滅したり消滅したりするものではなく、なお生きていて自己の真理性を主張する。研究者は、絶えず、他方の思想と問答し、対話して最高の真理を模索することとなる(問答的研究)。この最高の真理との関係において、自他の位置が最終的に決定されることとなる。(注13)
中村元は、『比較思想論』において、世界思想史的観点から、「比較思想」の営みが過去どのように成されてきたのか、そして現在どのような方向をめざして動いているかを整理している。
中村は、思想について論じる場合には、誰が語ったかということが問題になるのではなく、何を語ったかということが問題であるとする。これまでの思想史とか哲学史とか銘をうった著作では、固有名詞ばかりがだされ、肝心の思想的な観念が表に出てこない。これでは、本来の意味での思想そのものの歴史であるとは言い難いと指摘している。(注14)
これまでの東西の思想史を回顧してみると、無関係と思われる文化圏において、相似た思想が現出している事実があり、その場合、思想家個人から切り放し、思想そのものを項目だてして論じる。こうすることにより、できるだけ多くの思想史的事実に基づいて、全面的で偏見のない、「事実をして事実をかたらしめる」実証的な研究が可能となる。その結果として、「世界の諸々の文化圏における諸々の文化的伝統において平行的な発展段階を通じてみられる共通の問題の設定」(注15)が可能となるのである。
このように、もろもろの異なった諸思想を相互に比較し、人間の内奥の本質と関連せしめる実験によってのみ、われわれは真理に到達することを期待することができる。(注16)芸術的作品はその独自性に意義があるが、思想は普遍的に通用しえるものであってこそ、意義があるといえるであろう。
中村は次の如く訴える。「われわれは、哲学がギリシャから始まり、中世哲学を経てドイツ哲学や英米哲学において絶頂に達したという呪縛から離れて、もっと広い視野から考察していきたい。一部の人々にだけ通用するような隠語を打破して、広い視野から考察するためには、どうしても『比較』の手続きが必要になってくるのである。異質的な思想と対決して自分で考えるということがなければ、本当に普遍的な思想は出てこないであろう」。(注17)
中村は、この目的を達成するために、「比較思想」研究の方向として、まず取り上げるべきものとして、特殊化の方向があるとする。空間的風土的に、ある特殊な民族の哲学的思惟の特性を明らかにする。さらに時代的に東西諸民族に通じる同じ時代の思想、あるいは思惟の特徴を取り出す。つまり、空間的あるいは時代的に特殊化して考察する方法である。
第二には、普遍化の方向である。時代的あるいは風土的な差異を越えて、同種類の哲学思想や、考え方を一まとめにして、そして異質的なものと対決させるという批判的な思想形態論的な方法である。(注18)
この二つの手順を通じて、「比較思想」研究はなされるべきであるとする。こうした手法をとっていくと、流れとしては、普遍思想、世界思想の形成へと向かっていく。事実、中村は全7巻にわたる世界思想史を著している。(注19)
三枝充悳(敬称略)は、「思想・思索は必然的に比較をはらんでいるが、その比較をとくに意識的にとり出して、いはゆる東洋と、いはゆる西洋との諸思想を研究する」(注20)のが「比較思想」であるという。そして「比較思想」のあり方に、三つの類型を立てている。
第一の類型は、「異質の諸思想の比較研究」であり、さらに換言すれば、「東洋の思想」対「西洋の思想」との比較である。この類型はさらに二つに区分される。一つの思想が、その思想家独自の独創に満ちた思想であり、それを従来知られている思想と比較する。第二に、ともに一応既知の思想であり、それらをいわば第三者が比較研究するというものである。(注21)
第二の類型は、「諸思想間の影響の研究」である。ある思想が形成される場合、深浅の違いはあっても他の思想から何らかの影響を受ける。あるいは、他の思想との接触・交流などの関係が行われる。このように、異質の思想の間にどのような影響・関係があるかを研究する。(注22)
第三の類型は、西洋、インド、シナに代表される、東西思想史の集大成という構想に基づく「世界思想史」「世界哲学史」を試みることである。そして、できうる限り理想的な形に近い「世界思想史」「世界哲学史」が成立すれば、やがては「世界哲学」が生まれてくるのは必然の流れであるとする。こうした「哲学の総合」については、望ましいこととはしながらも、その前途に関しては、悲観的であり、多くの困難が指摘されてはいるが、始めから絶望する必要はないとする。ある思想哲学が自己の内に熟していく過程は、まずある思想哲学を学び、次に思想史哲学史を学び、そして自己の思想哲学を形成する。学ぶ思想哲学が、東西の思想哲学、学ぶ思想史哲学史が世界思想史哲学史であるならば、形成される自己の思想哲学は、当然のことに、世界思想哲学となるであろう。(注23)
玉城康四郎(敬称略)は、「比較思想」の原点であり、同時に終結であるものは、全人格的思惟に裏打ちされた思想の比較であるとする。(注24)
全人格的思惟とは、対象的思惟と対をなす、人類にとっての普遍的な思惟方法であるとする。対象的思惟とは科学的認識で代表されるもので、主観・客観相対において成立する、きわめて一般的な思惟である。それに対し、全人格的思惟とは、頭も心も、知性も感情も、そして身体もまた、全人格体が一体となって営まれる思惟である。(注25)
玉城は、これまでの長い仏教思想の学的営みを通し、思想研究に二つの方向性を見いだし、一つは、その思想の内側から、その根底を見究める。いま一つは、外側から客観的に研究することである。外側から考察することは、自ずから他の思想と比較するという関心へ傾き、それはとりもなおさず、その思想の内部に再びさらに深く沈潜していくことにつながる。この結果、玉城は、仏教思想が他の思想との比較において持つ際だった特徴、仏教の特徴的な形態を見いだした。その形態とは、インドの唯識と中国の天台に代表されるように、まったく体系を異にする学派を生み出す謎であると言う。この仏教の謎を探求する学的営みは二つの路線に分かれる。一つは、無数の学派を生み続ける仏教の秘密についてであり、もう一つは、それぞれの学派は、仏教以外の思想のいずれかと、同じ問題意識や方向性を持っているということに関してである。
仏教の秘密に挑戦するとは、教理や体系として現れている言語表現を越えたところのものに踏み込んでいくことである。そのためには、言語表現をただ対象的に理解する立場を離れ、全人格的に認識することが必要とされる。
第二の路線についても、ただ単に対象的に比較することではなく、言語表現の背後にある、人間のあり様そのものの秘密に迫ることになる。(注26)
いずれの路線も、対象的思惟を通過し全人格的思惟に到ることになる。
峰島は、「比較思想」とは、「東と西の思想を比較し、その類似と相違を明らかにし、それを通じて自己自身の思想を確立する営みである」(注27)と定義している。この定義の前半、すなわち、「東と西の思想を比較し、その類似と相違を明らかにし」の部分では、東と西の思想の間をあちこちと行ったり来たりする<往還の弁証法>(注28)が必要とされる。
しかし、この段階だけで終わるとするならば、好事家の自己満足にすぎなくなる。ここで問われなければならないのが、主体性の問題である。誰が比較を行うのかの問題である。
峰島は、例を挙げて、次のように述べている。「比較には、必ず比較されるAとB(東の思想と西の思想)がある。比較の第一者と第二者である。そしてさらに、AとBを比較する営みの主体としての比較の第三者がなければならない。例を挙げると、東洋(日本)の西田哲学と西洋のカント哲学とを比較する場合、それらを比較する私自身が比較の第三者として両者の間に介在するのである。(中略)私はこれら両者を比較することを通して、自己自身の思想地盤を省み、これをこれまでよりいっそう深く確実にとらえることができるようになるのである」。(注29)比較思想の定義の後半、「それを通じて自己自身の思想を確立する」とはこのことにほかならない。
峰島は「比較思想」の内実を、これまでの先学の見解をふまえて六項目にまとめている。多少長きにわたるが、将来の「比較思想」の発展を批判検討する上での、基本的な出発点ともなるものであるから、要約し掲載しておきたい。
(1)比較、広狭の二義
「東西思想を比較して、その類似と相違を摘出する」ものとしての比較思想は二つのタイプに分けてとらえられる。一つは事実上交渉ないし交流のあった二つの東西思想を比較し、その類似と相違を摘出するものであり、もう一つは、そのような事実関係がなく、時間空間を越えて、東西思想を比較し、その類似と相違を摘出するものである。前者が狭義の、本来の意味での比較であり、後者は、広義の比較、対比と呼ばれる。
(2)世界思想への歩み
比較思想は、このような比較と対比のほか、第三に、東西両思想の比較・対比をふまえて、世界思想への歩みということをも包含する。東西思想、そして世界の諸思想が、それぞれの位置づけを得て、互いに類似と相違を確認しあい、それらが統合されて一つの世界思想へと融合・調和していくのである。
(3)アナロジー
類比推理、アナロジーによって、比較を行う。形式論理学での推論形態として、演繹推理と帰納推理、そしてその中間に類比推理がある。類比推理は、演繹推理のように普遍から特殊へではなく、また帰納推理のように特殊から普遍でもなく、特殊から特殊へと推論するものである。人間の精神的な営みをなまにあらわす論理としては、適切なものである。たとえば、仏陀とキリストとの対比は、特殊から特殊へ、類比推理によって行われると考えられる。
(4)科学として、哲学として
比較思想は、科学か哲学かという観点から二分法でとらえることも可能であるが、一つの全体として、段階的かつ統合的にとらえることも可能である。比較思想の遂行のためには、なんといっても比較される二つの思想を、実証的・客観的にとらえることが基本でなければならない。これをふまえて、さてそのいずれかを自己自身の思想として取り入れるかという選びが行われる。この選びは、二つの思想の価値評定を含み、一つを取り他を捨てるという営みがなされるのである。その結果は、かかる「比較思想」を遂行する当事者自身の哲学へと組み入れられるのであって、その意味からも、それは哲学的営みであるということができるのである。
(5)比較思想史
ある時点での、両思想を比較するとして、こうした比較を積み重ねていくと、世界思想史の流れを、そのつど、時点・時期・時代で区切って、横切りに、比較を遂行していくこととなり、それが比較思想史を形成することとなる。東西思想が、同時点・同時期・同時代にパラレルに類似性があるということ、場合によっては相違性があるということを明確にする。
(6)学問方法論として
近代に入り、西洋では次々とさまざまな分野で学問が独立し、近代的な学の装いをとることになる。自然諸科学、社会諸科学、人文諸科学が、いわゆる学的体制をなして続々と学問の世界に登場した。わが国では、明治期以降、初期には、イギリス・フランスの学問が移入され、中期以降はドイツ流のアカデミズムが定着し、これを軸に学問の体制が構築された。
しかし、近年学問研究が発展するにつれ、各研究分野はますます細分化され、科学の進歩は著しいものがみられるが、反面専門馬鹿ともいえる狭い視野に閉じこめられ状況をもたらした。その上、科学の極限までの発達は、人間への脅威をもたらす結果となっている。
二十世紀に入り、人々はグローバルな意識に目覚め、それが成長し、コミュニケーション技術の発達にともない、東西の学術交流はますます激しくなり、西洋と東洋との両思想にわたり比較研究する風潮を醸成した。
比較思想は、学問分野の再編成、学際研究への起爆剤的役割を果たし、さらにセクショナリヅムで硬直している学問分野を交流させ、融合させ、むしろ統合の方向へもたらす促進剤ともなりつつある。(注30)
峰島は、比較思想の具体的な遂行にあたり、取り上げられるべき問題群を八項目にまとめている。これも要約した形で取り上げておきたい。
(1)キー・ワードによる比較
東西思想から、いわゆるキー・ワードを取り出しこれを比較する。法(ダルマ)とロゴス(理法)、知恵とソフィア(知)、仁とフィリア(友愛)、中道とメソテース(中)等。
(2)テーマによる比較
科学と宗教、生命の倫理、平和思想等の東西比較。
(3)<観>の比較
人間観・自然観・歴史観・世界観・倫理観・宗教観・物質観・労働観等の比較
(4)<イズム>の比較
ニヒリズム・ヒューマニズム・エグジステンシャリズム(実存主義)・プロテスタンティズム・マルキシズム等々、<イズム>で表される諸思想の比較。
(5)人と思想の比較
もともと人と思想とは分かちがたい。名は体をあらわすものとして、仏陀なら仏教哲学、カントならカント哲学、フッサールなら現象学と受け取る。カントと仏陀、フッサールと西田哲学、ソクラテスと孔子等々の比較。
(6)時代・社会・エートス・宗教・文化等の比較
それらを通じて思想そのものの比較をめざす。
(7)類型の設定
大きくいえば東洋思想と西洋思想、アメリカ思想と日本思想のたぐい。ヘブライズムとヘレニズム、有の文化と無の文化、モンスーン思想と砂漠思想と牧場思想等。
(8)外来思想の受容と展開
明治期における日本への西洋思想の移入が典型的である。(注31)
この他に考えられるものとして、聖典、教典、経典の思想の比較も可能と思われる。同じ伝統内での比較だけでなく、他の伝統のものとの比較。例えば、法華経と聖書等。
<結び>
最後に、上述の五人の先学の「比較思想」の論旨を表でまとめてみると、次のように興味深い一致点が見いだされる。
第一段階 最終段階
川田 解釈学的研究 選択的研究
形態論的研究 問答的研究
歴史的研究
(系統的研究)
体系的研究
中村 特殊化の方向 普遍化の方向
三枝 異質の諸思想の 世界思想史・世
比較研究
界哲学史の集大
諸思想間の影響 成および哲学の
の研究 総合
玉城 対象的思惟 全人格的思惟
峰島 東と西の思想を それを通じて、
比較し、その類
自己自身の思想
似と相違を明ら を確立する
かにする
第一の段階では、科学的、客観的なデータの収集が中心課題となる。この段階は、「事実をして事実を語らしめる」営みが必要とされる。第2段階、すなわち最終段階では、科学からの超脱がなされる。それは、単に思弁的な哲学をすることではなく、全人格的な営為であり、峰島の言葉を借りるとすれば、「自己自身の思想を確立する」営みである。思想を確立した後もそれがドグマ化するのではなく、生きている限り人間として自己の内奥の本質と関連せしめ、川田が指摘する如く問答的研究は続くのである。換言すれば、第一段階は、いはゆる学問であり、最終段階は、修道であるといえるのではないか。すなわち、「比較思想」の営みとは、学・道の営みであるということができると思われる。
以上概観してきたように、「比較思想」とは、単に論理的に相違を比較するだけでなく、全体論的に、現実の生を視点に置き、自己の生き方を思索し、全人的な探求と実現が要請されるものである。こうした意味において、「比較思想」は、人間の生の意味を探求する上では、適切な、妥当な方法論であると思われる。
注
1 中村元『思想をどうとらえるか』(以下「思想」と略記)1頁 東書選書 1980年
2 峰島旭雄『比較思想をどうとらえるか』(以下「比較思想」と略記) 16頁 北樹出版 1988年
3 峰島「比較思想」 18頁
4 梶芳光運監修『東西思惟形態の比較研究』 21頁 東京書籍 1977年
川田は、比較哲学という表現を用いてい るが、哲学は思想を代表するものであり、 比較思想と解釈しても差し支えはないと思 われる。
5 梶芳、前掲本 22頁
6 梶芳、前掲本 22頁
7 梶芳、前掲本 22頁
8 和辻哲郎『続日本精神史研究』 和辻哲郎全集第4巻 551頁 岩波書店 1962年
9 C. G.
Jung "Analytical
Psychology"
P.11
Vintage 1968
10 村上泰亮 『中央公論』「世紀末の保守と革新」100頁 1990年2月号
11 この順序は、所論の発表年代による
川田の所論の原型は、1948年の『哲学 小論集ー文化と宗教』にすでに発表されて いる。
12 梶芳 前掲本 41頁
13 梶芳 前掲本 41〜47頁
14 中村『比較思想論』236頁
『思想』 21頁
15 中村元『古代思想』中村元選集 第17巻 14頁 春秋社 1974年
16 中村『思想』 24頁
17 中村『思想』 26頁
18 中村『古代思想』選集 第17巻
前掲本 38頁
19 中村元選集 第17巻〜23巻
古代思想 普遍思想(上)(下)
中世思想(上)(下)近代思想(上)(下)
春秋社 1974年
20 三枝『東洋思想と西洋思想』11頁
春秋社 1969年
21 同、33頁
22 同、45頁
23 同、60〜64頁
24 玉城康四郎『比較思想論究』 23頁
講談社 1985年
25 同、9頁
26 同、6頁
27 峰島旭雄『西洋は仏教をどうとらえるか』 15頁 東京書籍 1987
28 同、19〜20頁
この弁証法は、フランスの実存哲学者サル トルの立場にヒントを 得てつくられたも のである。サルトルは自著『弁証法的理性 批判』の序論にあたる「方法の問題」で、 <さ・え・ら>の弁証法を説いている。
<往還>という表現は浄土教思想の往相 と還相という概念から来たものである。
29 同、21頁
30 同、20〜25頁
31 同、27〜28頁