イングラル・スピリチャリティー  K.ウィルバー         2008.02.29.春秋社

 広範な比較文化的な研究によって、世界の多くの英知の伝統を使い、それらすべての伝統の中の最良の要素を含む、包括的な、統合的な地図を作る。

 

 その主な要素をシンプルな5つの要因にまとめている。

  自身の意識において現前している。

  単に理論的な概念ではなく、自分自身の経験の諸相、意識の等高線であり、その妥当性を確認できるもの。「統合地図」。

  自分と、自分を取り巻く世界を、より包括的に、より効果的に見ていくもの。

 

・象限(quadrants

 ・レベル(段階)

 ・ライン

 ・ステート(状態)

 ・タイプ

 

IOSIntegral Operating System)統合作動システム 「統合地図」の別名

 

意識の状態(ステート)

 覚醒・夢見・深い眠り

 生起し消滅する                       仏教的には、生住異滅である。

 

意識の段階(ステージ)は永続的なもの

 段階は成長と発達の実際の一里塚。いったん、ある段階に到達するとそれは永続的な獲得となる。

  事例:子供の言語の発達段階。より広い知識、より包括的な愛、より高い倫理的な要求、より大きな知性や気づき。

「発達のレベル」と呼ばれる。

 

倫理的発達段階

三つの段階

 前―慣習段階 自己中心的(エゴ・セントリック)       「私」

 慣習段階   自民族・集団中心的(エスノ・セントリック)  「私たち」

 後−慣習段階 世界中心的(ワールド・セントリック)     「私たちすべて」

 

 体(ボディ)   粗大な身体的現実が支配           「私」

心(マインド)    ほかの人の役割を理解できる心       「私たち」

霊(スピリット) すべて意識あるもの(一切衆生)に共通   「私たちすべて」

         という意味で、「スピリチュアル」。

 

 

発達のライン

 いかに偏った発達の仕方をしているか。

 「多重知性」 認識的知性、感情的知性、音楽的知性、運動感覚知性等

 それぞれの知性が成長と発達を示すから「発達論的なライン」と呼ぶ。

 

サイコグラフ

統合的に発達するとは、自分のサイコグラフが現在どのようなものかをよく弁え、更なる統合的な自己イメージを持つことで、未来の自身の発達のプランを描けるようになることを意味する。

 

瞑想のような、これら高次の状態の訓練形態は、変容への統合的アプローチに欠かすことができない。

 

タイプ 

2つのタイプを持つ

  男性性(マスキュリン)            女性性(フェミニン)

   共通しているものとして、3〜4つの主要な倫理的発達段階を経て成長する傾向(思いやり・憐れみ)

                                                 前―慣習段階

              慣習段階

              後―慣習段階

                                統合段階

 

違いは、異なったタイプの論理を用いて通過する。

   自主性、正義、権利           関係性、思いやり、責任感

   自律性(エイジェンシー)        共同性・交流性・感応性(コミュニオン)

 

タイプに関して、健全なものと不健全なものがある。

  不健全なものとは、過剰になるか不足する。

  自律性 − 疎外感            関係  −  溺れてしまう

  強さ  − 支配欲          

  独立性 − 関係に対する恐怖

  自由  − 破壊

 

AQAL(アークル)「すべての象限、すべてのレベル、すべてのライン、すべての状態、すべてのタイプ」

        を縮めたもの。統合的アプローチをさす。

 

象限 (平面上で、直交する座標軸が平面を4つに分けた、それぞれの部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左上の象限 個人の内面 思考、感覚、情動等すべて主観的な一人称の言葉で表現できる事象。

 右上の象限 個人を外側から見る 客観的科学 原子、分子・・・辺縁系、大脳新皮質といった三人称で表現できる事象。

 左下の象限 私たち、集団の意識 間主観的な意識 文化 

 右下の象限 私たちを外側から見る 社会的次元 集団の外的形態や行動 システム理論

 

私たちが統合的であろうとすると、すべての象限を視野に入れる必要がある。

4つの象限は、すべて成長、発展、進化を示している。何らかの発達の段階(ステージ)やレベルを示している。直線的な線ではなく、発達の展開の流れるような波である。

 自己中心的 → 自民族・集団主義的 → 世界中心的

 体       心           霊

 粗大(グロス) 微細(サトル)     元因(コーザル)

 

ライン 発達的ライン

 個人の成長と発達に焦点を当てると、多くの様々な多重知性や発達的ラインがある。

  認知のライン(ありのままを認識する)

  倫理のライン(どうあるべきかを認識する)

  感情ないし情動のライン(感情の全領域)

  間−人格的ライン(他の人と社会的にどう関わるか)

  欲求のライン(マズローの欲求段階)

  アイデンティティーのライン(レーヴィンジャーの自我発達に見られるような、私とは誰か)

  美意識のライン(自己表現、美、芸術、あるいは意味の感受性)

  性−心理的ライン、広く言えばエロスの全領域(粗大から微細、元因へ)

  スピリチュアルなライン(「スピリット」の意味を、存在の基盤や最高段階という意味ではなく、それ自身が展開するラインと捉えた場合)

  価値のライン(個人が何を最も重要と考えるか。スパイラル・ダイナミックス)

 

所与の状況をより十分に理解するのにどのくらいの「精密さ」「複雑さ」が必要なのかに応じて分類の違いがある。

 

状態(ステート) すべての象限で起こりえる。天候の状態から意識の状態まで。

 

タイプ

 

全象限、全レベル、全ライン、全状態(ステート)、全タイプという統合モデルは、真に本質的な要素をすべて扱うことのできる、最もシンプルなモデルである。これを縮めて「全象限・全レベル(AQAL)」と呼ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

IOSの応用例

  統合医療 

精神神経免疫学 個人の内面的状態が身体的な疾患の原因およびその治療手段において重要な役割を持つ

左下の象限 いかなる人間の交流にも決定的な役割を持つ、間主観的の要素を包含する

  統合ビジネス

  社会参加型のスピリチュアリティ

  統合的エコロジー

 

あなた自身の成長と発達の中で、あなたは、自己・文化・自然を、より高いより深いより広い存在様態へと導く力を持っている。

私 → より充実した私たち → 私たちすべて−一切衆生−という、より深いアイデンティティへと拡大していく。

あなた自身の、真・善・美への力が深まり、拡大するということでもある。それは自己において悟られ、自然において体現され、文化において表現される。

1章 統合的な方法論としての多元主義

 スピリチュアルな伝統としての「形而上学」 近代および近代以降の認識論者から完全に批判。

 

 偉大なる叡智の伝統としてのスピリチュアルなシステムを再構築するには、どのような方法論が獲得可能なのかを概観する。

 

 統合的な方法論としての多元主義 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8つの基本的視点 4象限の事象はホロン階層をなしている。 ホロンとは、部分/全体。内側と外側から見る。

 

8つの視点の総計を統合的視点と呼ぶ。私たちは、この8つの空間、ゾーン、生活世界に住んでおり、実践的世界である。

 

「視点」とは、実際に知覚されたホロンをAQALの空間の中に位置づけること。

AQALのマトリックスにおけるホロンのアドレスとは「アドレス=高度+視点」で示される。

ある事象がどの象限にあるのか、その象限内のホロン階層のどこに位置するか。「高度」とは発達のどあいを表す。

 

 

 

 

 基本的にこの8つの視点は、8つの根本的な方法論を表す。これらを総合したものが、統合的な方法論としての多元主義である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左上象限の私 内側 現在経験していることを感じる主体となる。内観、瞑想、内的な現象学、観想。

        外側 客観的・科学的な観察者。システム理論および構造主義

 左下象限の私たち 内側 私とあなたがどう理解しあうか。解釈学。

          外側 民族感覚的方法論(エスノメソドロジー)

 

 現在のスピリチュアリティにとって、決定的に重要。

 「悟り」と「スパイラル・ダイナミックス」

両面からのアプローチがないと、人間や人間の実在であるものとの関係を決して理解できない。

 

生起のホライ・ゾーン

視点から現象の世界が生み出される。世界空間は地平(ホライズン)を伴う。 

この空間の総計を、(ホライ・)ゾーンと呼ぶ。

ゾーンとは、行動を伴う視界(view)である。

viewとは、ある視点から見た時に見えてくる光景。

また「見解」や世界観も意味する]

アドレスから生み出されるすべて。生活ゾーン、意識のゾーンと呼んでいい。

ゾーンとは、すべての事象が生起し得る8つの領域。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゾーン1とゾーン2の方法論は、きわめて重要な知のタイプを示している。相補する。

それらがどのように関連しているかを知ること。

 

基本的な視点をもつ統合的数学

 瞑想       1−P×1−P×1P

 スパイラル・ダイナミックス  3−P×1−P×1P

 

統合的なポスト形而上学

 知覚を視点に置き換える。あらゆる現象領域を、視点の領域として再定義する。

 

 「一瞬一瞬が、諸法や瞬間的出来事を把捉する、束の間の不連続の一時的な主体である」という考え方。一人称における現実を、一人称から見た視界を、三人称的に概念化したもの。

                        3−P×1−P×1P

 

 ポストモダンの認識論が推進した重要な真実は、すべての知覚は、実際には視点であるということ。

 すべての視点は、経済と社会システムだけでなく、身体と文化に埋め込まれているということ。

 

(間)主観性のタブーにつまずいた偉大なる伝統

 

統合的な認識論の概略

 統合的な方法論としての多元主義は、近代以前、近代、近代以後の真実を包含し、視点と方法論の統合的な枠組みの中に組み込む。それも元の姿で組み込もうとする。

 

 

 

 

2章 意識の段階(ステージ)

人間の内面に関する科学的研究が行った革命的ともいえる発見

 

ホライ・ゾーン2−内面の科学的研究

 人間の個人(一人称、1P)の直接経験ないし内観的な現実(1−P×1P)を、客観的・科学的な三人称の立場で見たもの(3−P×1−P×1P)である。

 左上の象限を、外側から見たもの。スパイラル・ダイナミックスが行ったこと。このタイプは西洋的なアプローチの核心。

 

 段階 ギリガンの調査研究 数年にわたって追跡 A~Cへ高まる。逆はない。

 

 次の課題は、これらの段階を構成しているもの、すなわち心理の構造ないしパターンを見分けることになる。

 このタイプの調査 100年前に既に発見、その後、構造主義と呼ばれる。影響力を持つ。

 

構造主義の歴史的(かつ継続的)な重要性

 現象学  直接的な経験ないし意識に起こる心の現証や内容を見る

 構造主義 現象や、経験がそれに従うようなパターンや構造を観察する。こうしたパターンや構造が、実際には現象を統制しているが、現象それ自体はそれを知ることができない。 

      

      

 

 

 

事例 トランプのポーカー

    現象学者 それぞれの現象、カード、異なったシンボル、色、形、肌触り等できる限り集中的に経験する。カードの動きはルールに従っているが、それはカードには書いていない。

    構造主義者 ルール、パターン、全体論的な構造を探す。心の内容またはカードが実際に従うようなルールを探す。

 

 瞑想してもスパイラル・ダイナミクスの段階に似たものは、決して見つけることはできない。逆も真

なり。スパイラル・ダイナミクスをいくら学んでも、悟りに至ることはない。

             

ゾーン1 内面的意識と経験の現象学の厳格な研究者 ウィリアム・ジェイムス

歴史的または発達論的な構造主義にすること。ボールドウィンがゾーン2のアプローチの先駆者

 ゾーン2 言語学的に生成された世界観に対して適用された発達論的(系統学的)な構造主義の先 駆者 ミシェル・フーコー

 

 更なる問題は、どのホライ・ゾーンでも機能不全が起きる。

意識のレベルとライン

 ゾーン2 非常に多くの種類の研究が「発達論的なラインとそのレベル」を示している。

 発達的なラインが、互いにどのように関係しているかという問題に取り組まざるを得ない。

 スピリチュアルな発達に関して、非常に重要に関係している。

 

 人生は、問いを差し出す。私たちはそれに答える。この回答の構造と歴史が、発達論的な構造主義や系統学の範囲となっている。

 複数の発達ライン 多重知性 互いに相対的に独立して発達する。cf  AQAL  サイコグラフ

 

 ライン       人生の問い                 代表的調査者

認知        何に気がついているのか           ピアジェ、キーガン

自己        私とは誰か                 レーヴィンジャー

価値        私にとって何が重要か            グレイヴス、

                                スパイラル・ダイナミックス

倫理        何をなすべきか               コールバーグ

人間関係      どのように人と交流すべきなのか       セルマン、ベリー

スピリチュアル   私の究極の関心は何か            ファウラー

欲求        何を欲しているか              マズロー

運動        このことを行うにはどう身体を動かすか    ガードナー

感情        これについて、どう感じるのか        ゴールマン

美学        私は何に魅かれるのか            ハウゼン

 

おのおのの発達のラインは、レベル、段階、波を持っている。

これらの調査は、先行する調査なしではできなかったもの。集約した結果は、統合サイコグラフとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこにでもある「流れ」と「らせん」

 発達のラインは、実際には厳密な意味では一本の線ではない。多くの研究者は、発達的なラインを「流れ」とよび、段階を「波」と呼んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発達のレベルないし「波」がホロン階層的であり、発達のラインはらせん状であることを理解すると、図2.1は図は2.3のようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライン間の関係

 ・多くの発達のラインは、お互いにどのような関係を持っているのか?

 ・一つのラインにおけるレベル・段階はほかのレベル・段階をさすことはできない。

 ・驚くべきことは、サイコグラフにしてみると、明らかに増大する複雑性、増大する意識と言える方向性をすべてのラインが示している。

 ・すべての発達ラインの「高さ」を測ることのできる唯一のものさしはあるのか−垂直のY軸は?                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

・偉大なる叡智の伝統 チャクラ・システム 虹の色を使う レッド、イエロー、オレンジ、グリー  

 ン、ターコイス、ブルー、インディゴ、ヴァイオレット、クリアーライト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虹のの数は現在の日本では一般的に七色()と言われるが、地域や民族・時代により大きく異なる。日本では古くは五色、沖縄地方では二色(赤、黒または赤、青)とされていた。なお現代でもかつての沖縄のように明、暗の2色として捉える民族は多い。スペクトルの項で後述するが虹を7色と強弁したのはュートンであるがイギリス社会一般で7色だと統一されているわけではない。

ジェイムス・ファウラーと信仰の段階

 “Stages of Faith”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3章 意識の状態(ステート)

 今ここで感じているものである内面のホロンは、内側からは、どう見えるのか。

 

現象学、感じられる経験、意識の状態

 AQALでの、最も大事な区別は、構造と状態の区別。

 構造とは、どのラインをとっても、その段階・レベルの別名。

 それぞれのレベルは、構造、ある種の構築ないしはパターンを持つ。

  言語の複雑性の持つ特定のレベルを話す時、ある種の構造、形態、パターンを持っている。言語は、安定したパターンを持つが、そこで使われる言語は常に動いている。

  構造は、固定したものではなく、流動的なもので非常に力動的であり、自己組織的である。この力動的な全体論的(ホーリスティック)なパターンがその構造である。

 

 意識の状態と意識の構造と比較する。状態と構造の関係が、スピリチュアルな経験とは何かを理解するうえで−近代、近代以後の宗教の役割を理解する上でも−最も重要な事柄。

 

 ゾーン1(「私」の内側)今考えていること、感じていること、気分等 − 現象学

  内面的な経験の特定のタイプを「現象的状態」と呼ぶ。

  「直接経験」に加え「現象的状態」と呼ばれるものを持っている。状態を経験できるが、構造それ自体は経験できない。構造は、ゾーン2の方法論で発見できる。

 

  意識の5つの自然な状態

   1.粗大な覚醒の状態 自転車に乗ったり、このページを呼んだり、身体運動を行ったりしている時の状態。

   2.微細な夢見の状態 鮮明な夢、鮮明な白昼夢、視覚化の訓練、あるタイプの瞑想

   3.元因−無形の状態 深い夢のない眠り、広大な「開け」ないしは「空」の体験

   4.目撃者(トゥリーヤ)の状態 これは他のすべての状態を目撃する能力である。

   5.常に現前する非二元(トクヤティタ)的意識 これは状態というよりは、他のすべての状態に対して常に現前する基底である。そしてそのようなものとして経験される。

   それらに加えて、

   変容状態、非通常状態、外因性の状態(薬物使用)、内因性の状態(瞑想状態等)

   高められた状態は、通常状態、非通常状態を問わずに「至高体験」と呼ばれる。

   

訓練された状態−意識の観想的・瞑想的な状態

 ゾーン1の状態の訓練は、東西の瞑想的伝統には、驚くほど進化した形式がある。

 粗大(グロス)      「私は岩を見ている」

 微細(サトル)      「私は光と幸福感に包まれ大きな愛を感じている」

 元因(コーザル)     「ただここには、広大な空、無限な深淵がある」

 非二元(ノンデゥアル 「神聖な空と相対的な色(形)は二つではない」

 

 状態−段階 状態が連続性を持って展開する時。一時的に高次の状態を得ることができる。

構造−段階と区別する。

 状態は非常に流動的。

 構造−段階は、発達のはっきりしたレベルを持っている。構造−段階は飛ばすことができない。

 

  状態−段階に関しては、粗大から非二元的経験に移行するが、その瞑想の伝統の研究がなされている。下図は、典型的な瞑想状態の連続的な展開図であり、訓練のすべてのコースを描いている。これらをマスターするには、5年から20年かかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして非常に重要な質問とは

意識の状態と意識の構造はどのように関係しているか?

ゾーン1の瞑想、観想への観想的なアプローチと、ゾーン2の構造主義、系統学への慣習的なアプローチの関係。

瞑想の座布団に何年座ってもスパイラル・ダイナミックスがみえないのか、なぜスパイラル・ダイナミックスを完全に学習しても悟りが得られないか、という質問に戻る。

 

 

4章 状態(ステート)と段階(ステージ)

 ゾーン1とゾーン2 − 禅とスパイラル・ダイナミックス

 スパイラル・ダイナミックス グレイヴスは「価値遺伝子のシステム」or「核心的な知性」と呼ぶ。

               多重知性の中の価値のライン

 

 レベル1 生存欲求、生き残ること、「生存感覚」

 レベル2 呪術的(マジカル)、安全性、「近親感覚」

 レベル3 衝動的、自己中心的、力と行動、「力をもつ神」

 レベル4 目的的、絶対主義的、安定性、目的ある人生、「心理の力」

 レベル5 達成者、多元主義的、成功、自立性、「達成欲求」

 レベル6 共同体主義者、相対主義者、調和、平等、「人間の絆」

 レベル7 統合的、システム的、「柔軟な流れ」

 レベル8 ホリスティック、経験的、総合と再生、「世界的な視点」

 

例として:今大学で学んでいる。自分はレベル4にあるとする。

8つのレベルを記憶し、テストで正答することができる。

一人称の人間の、三人称的な視点からの記述である。この三人称的視点を記述できるから。

 

違った試験「レベル8の経験を感じたまま、一人称で記述しなさい」では、正答できない。

三人称視点の試験は通っても、一人称視点の試験には落ちる。

 

この研究は、それらの段階の「眺め」の外側におき、レベルを変容するわけではない。

これはシステムのせいではなく、ゾーン2の記述、一人称的な現実の、構造的な形式化とその三人称的な記述だからである。

 

 変容それ自体について、なぜ個人が成長し、発達し、変容するのかは、人間心理学の偉大ななぞの一つである。

 

 禅 瞑想の段階 十牛図

 

 

 

W-Cの格子(ラティス)     

初期の研究 瞑想段階と西洋心理学の発達段階の関係のあたりで立ち止まる。

「悟り」とは何か?2000年前の「悟り」と現代の「悟り」に通用する言葉の定義はありえるのか?

 

最初の突破 状態と構造の違いを理解すること これらを同一視しないと、相互の関係が把握可能。

「ウィルバー・コスムの格子」(W-Cの格子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西洋心理学の段階に積み上げられるものではなく、「状態」であり、それはどの段階でも起こり得る。

人は、それぞれの体験を、自分が置かれている発達段階のツールで解釈する。

「状態」を、呪術的、神話的、多元的に解釈するということ。

事例:普遍的な愛をともなう、集中した内面的な啓示(照明)、光の体験という微細な状態

   呪術段階 呪術師としてのイエス 私のすべての願いをかなえてくれる個人的救世主

   神話段階 永遠の真実をもたらす人 イエスとの霊的交流として解釈される。

        信念的に絶対であり、自民族・集団中心で、信じるものは救われる。

   心的−合理性 イエスは人間化される 完全に神聖であり、同時に完全に人間である

          世界中心的段階が開始され、キリストを通じて救済されるが、他の人々は異なった道を通って救済されることを許す。

 

               多元主義的段階

 

    統合段階  規リスト的な意識を他の世界の精霊の表現と統合させようとする。

 

神秘主義のタイプと意識の状態

 自然、神性、無形、非二元という神秘主義のタイプ 

4つの主要な状態において、至高体験−その領域における現象と一体になる−を得ることができる。

粗大な覚醒    − 自然神秘主義

微細−夢     − 神性神秘主義

元因       − 無形神秘主義

粗大、微細、元因 − 非二元的神秘主義

 

 ソーン1とゾーン2の研究・調査を一緒にすれば、W-C格子が完成する。

 

解釈とAQALマトリックス

 ある個人が、その段階において、特定の状態や経験を解釈するとは、その時作動しているAQALマトリックスの全体で解釈するということ。

とくに左上の象限におけるレベルとライン、すなわち自分のサイコグラフ上で解釈するということ。

左下の象限、文化的、間主観的な文脈における解釈は、決定的に重要である。いつもほとんど意識されていない。

右上の象限、神経生理学的な要因で、非常に多くの解釈的枠組みを提供する。

右下の象限、社会システムは強い影響力を持っている。

これらすべての要因は、見過ごされてはならない。

あらゆる瞬間における個人の経験は、AQALマトリックスによって解釈するべきであるという。

 

 

 

 

 

 

 

 

悟りの延びてゆく尺度

悟りとは?すべてと一体になることであるが、すべては進化しているのであれば、今日の悟りは明日になれば部分的なものになる。

ウィルダーの答えは「悟りとは、その段階まで進化した、すべての状態とすべての段階、および、その時点のすべての存在との一体化である」というもの。

 

ゾーン1とゾーン2 − イヴリン・アンダーヒルとジェイムス・ファウラー

スピリチュアルな地図の最も影響力のあるもの。発達論的なアプローチの代表例。

アンダーヒルの業績 世界で最も尊敬されている聖者や聖人の研究に基づく、スピリチュアルな道の段階の概略と要約 

「私」の内部空間における意識の事象と感覚された体験の段階

 

 ファウラー  ゾーン2のアプローチでスピリチュアルな意識の展開を研究

 

 アンダーヒル             ファウラー

1.目覚め・入門            0.前−言語的(未分化)段階

2.浄化・平安             1.投影的・呪術的

3.啓示                2.神話・リテラル(文字通りに受け取ること)

4.魂の暗い夜             3.慣習段階

5.統合・合一             4.個人的・内省的

                      5.共同的、後−慣習段階

                      6.後−慣習的な共同福祉

 

アンダーヒルはW-C格子の横軸、ファウラーは縦軸となる。

 

暗い夜

特定な領域に対する執着、アディクションを通り過ぎる時、あるいは手放す時に起きる。

また高次の至高体験から、低い次元の状態に投げ込まれる時、深い喪失と苦しみを体験することを言う。状態−段階であり、流動的でオープンなもの。

状態と状態の境界で、一方を手放す時に起凝る。「十牛図」の第八.

 

十牛図は心の状態なのか、段階なのか?悟りへの段階として、声聞、縁覚、菩薩、仏があるのではないか?菩薩の十地は、状態か段階か?ウィルバーのよれば状態とされている。

 

スピリチュアルという言葉の4つの意味

1.どのラインでもその最も高次のレベル

   超−合理段階、超−個人段階をさす。

2.別の一本のライン

    ファウラーのスピリチュアルライン 前−個人的、個人的、超個人的なレベル・段階を持つ

3.状態の至高体験

    状態経験と見做す。

4.特定の態度

              どの段階または状態にあっても、特定の態度、姿勢をさす。愛、慈悲、智慧等。

 

問題は、これら4つの意味を混同して使用することにある。宗教という表現についても、どの宗教なのかを定義する必要がある。

 

 

 

 

 

 

5章 団塊世代の仏教

AQALのマトリックスのどの要素に関しても病理または機能不全は起こりえる。

事例:「ブーメリティス」−団塊世代の病理。ベビー・ブーマーを中心とする、自己中心主義とナルシシズムのことをさす。

    ヴェトナム戦争 学生の抗議運動 反対者の多くは、前−慣習段階にあった。自己中心的ナルシズムのレベル。

    同じ抗議行動で、そこには前−慣習段階と後−慣習段階の抗議が同居していた。これを同じようない扱うのは、完璧な前・後の混同である。

    発達のグリーンの段階。多元主義的、相対主義的、ポストモダン。「君は君のことをやりなさい、私は私のことをやる」というもの。これは、しばしば自己中心的でナルシシズム的衝動を、活性化し、再起動する。こうして、低次元のナルシシズムに、高次元の多元主義のラベルを貼り付けた。「ミー(俺様[自己中心])世代」が誕生した。

    実際、自分の自己中心的・ナルシシズム的な気分や感情を、非常に高次元なものと考えるようになる。

 

ブーメリティス的な仏教

  この雰囲気の中に仏教が渡来してきた。「無我」の仏教が、しばしば自分のエゴを表出する仏教徒なってしまった。

  常に現前するスピリットが「グリーン」のレベルを強化し固定するために使われてきた。これだけでも破壊的な事態。さらに二つの問題が起こる可能性がある。

  経典は「ターコイス」「インディゴ」「ヴァイオレット」のレベル。それが「グリーン」のテキストとして下方の段階へと翻訳される。

  真正の瞑想的テキストを「グリーン」を支えるために使い、さらに「レッド」を支えてしまう。ここにブーメリティスの仏教が生まれた。

  しかし、今、何かがおかしいと感じている。

 

 統合的なアプローチは、この困難な状況を助けることができる。AQALの分析は、より深く、包括的で、全体的な形で、システムが自己修正し、自己組織化し、自己解放を遂げることを開始させる助けとなろう。

  「見」とは、自由であっても、フルでなければ、完全に統合的とはいえない。

 

「空」と「見」は二つではない

深い瞑想に入り、無形の領域にふれると、純粋な止滅の「空」であり、概念、思考も起こらない。この純粋な「非概念的な」心は、無形の元因状態であり、悟りの本質的部分である。

大乗仏教では、空と現象(感知できる形態「色」)は二つではないとする。(色即是空 空即是色)。

非概念的な瞑想の後、現象界において、どんな概念的の形態を用いるのか。仏教では、どのような概念的な見解や枠組みをすすめているのか。

 

「正見」は「正定」と同様に重要であり、実際にはこの2つは切り離せないもの。しかし小乗的な「空」は、「何の見解も持たない」という観念で受けとめられ、「誰にも僕らにどうしろなんて言わせない」的な精神となってしまった。

 

正しく、高貴な見解とは何か?それは四諦、八正道、十二因縁であり、「空」の中観、絶対的な「空」と相対的な「色」との非二元性であり、属性のない空なるスピリットの輝く正体[仏性]であり、それが輝かしく、自然に、自発的に現前する現象界の形態すべてである。

 

仏教の訓練の目的 粗大なエゴとの同一化から、微細な魂、最終的には無−自己(ビッグ・セルフ、大我)へと導く。こうした経験は「正見」に基づいて解釈されないと意味がない。

 

ヒンドゥー教、キリスト教、仏教の教徒たちは、ほぼ同じ段階(粗大から微細へ、そして元因へ)

 をたどるが、ヒンドゥ教はこれらの段階を「絶対の自己」、仏教は「無我」、キリスト教は「至高の神」

として経験し、その所与の経験を、各々異なった文献、文化、解釈に依存する。それらの差異は、経

験を解釈する枠組み、見解によって生じるのである。

 

  これは、万教同根をうらづける見解となる。

 

スピリッチュアルな道をどう歩めばよいのか

1.     仏教について:ゾーン1の状態に関する優れた理解を示している。その心理学と哲学は、驚くべき洗練さ、深さを示している。今まで通り、仏道に励めばよい。意識の主要な状態(粗大、微細、元因、非二元)を修行していくこと。仏教の瞑想は非常な助けとなる。

2.     ゾーン2に関しては、現実的な理解を持っていない。自分はどこにいるのか?ゾーン2の研究やモデルを使って、現在、自分の段階がどこにあり、どのような視点を取る力があるのかを知り、深めていく。

3.     段階と状態を2つとも含んだ見解ないし枠組みが必要。いかなる統合的な道も、自分自身の存在について、少なくとも8つのゾーンを見つけている。

             まずゾーン1の修行が必要。スピリチュアルの道を提供する。

      ゾーン2の理解は、段階モデルを学ぶことで得られる。

    他の6つのゾーンの全般的な理解は必要である。統合的生活実践は、これらすべてを実践しようとする。

 

情報源(リソース)

スピリチュアルな道を歩みながらも、それをAQALの枠組みの中につなごうとすれば、結果は統合的な仏教というものになる。

枠組みを広げ、見解を広げ、スピリットの近代以前、近代、近代以後の転回を包含し、統合的なものにすればいい。

 

 

 

 

 

6章 影と切り離された自己

私が私を否定することができる。私的な部分を取り上げて、自己境界の向こう側に押しやり、自分がそういう感情を持っていることを否定しようとする。それは神経症的な症状に変換させてしまうことになる。切り離された自己の影は戻ってくる。

その影について、それが何であり、どのように始まり、どのように取り戻せばよいのか?

世界の叡智の伝統は、全くこのような考えを持っていなかった。この領域は、現代の西洋心理学が完全に独占的に寄与してきた。

 

力動的に分離された一人称の衝動

特定の状況下では、一人称(私)の感情、衝動、性質などが、抑圧され、分離され、切り離される。そうなった場合、それは私自身の一人称の意識の中で、二人称、さらには三人称の事象として現れるということ。

 

影の抱擁と影との戦い

怒りという感情 →切り離し阻害する →2人称として現れる →引き続き否定 →完全に分離、抑圧 →三人称として現れる=憂鬱、混乱、頭痛

心理療法 「それ」の感情や気分を私の感情や気分にすること。3−2−1プロセス。

 

本当のフロイト先生、どうぞお立ちください

「無意識」という観念 経験的な証拠と調査のデータによる。ゾーン1の発見。

「それがあったところに、私がいるべきである」 「影」の心理療法のワークとしての要約である。

 

精神力学的な現象学 − ゾーン1をうろつく影

フロイト学派の本質的発見とは、精神力学的な現象学

切り離された感情を、再所有しようとする時に抵抗を感じる。気分、気分への抵抗が、現実であり、ゾーン1の中で起こる。私は、自分自身の気分、衝動、思考、欲望などを否定することができるということ。

 

歴史と影

「内観ではなく、歴史を通じてのみ、私たちは、自分自身を知る」ディルタイ 系譜学または歴史意識と呼ばれている。

フロイトは、「私という発達」の初期の段階、生後から数年間の段階の現象学者としてずば抜けている。外側から見て、どのように概念化され研究されえるのか、また内面的にどう感じているのかを非常に詳細に調査した。

 

発達とは本質的には、「私」の成長と、その機能不全の内面的な物語。特に初期の段階で、一人称の私がダメージを受けると、それは三人称としての兆候や「影」となって現れる。「ダメージを受けた私」の現象的な歴史(物語)に対する見解が、影、切り離された自己、偽りの意識などの理解に関する学問の一部となっている。

 

健全な超越 − 「私」から「私に」へ

いかなる感情であっても、それを疎外して、外部、「あなた」「彼」「彼女」「それ」に投射するのではなく、自分のものとして所有した後、手放し、脱同一化すること。

「私は、強く起こっている」から「私は、私の強い怒りを観察している」への変換。

               「私に、強い怒りが起こっている」への変換

 

苦痛に満ちた経験が明らかにしているのは、瞑想だけでは、決してもともとの影にはたどり着かないということで、かえって悪化させてしまうこともあり得る。

 

AQALがこの重要な点を概念化している。「ある段階での主体は、次の段階では、客体になる」。

 

不健全な超越 − 「私」から「それ」へ

病理的な発達は、「私」を「それ」に変換する。

 

水平と垂直な悟り

悟りに、「垂直的な悟り」(段階)と「水平的な悟り」(状態)とも呼べるもの両方含む。

 

瞑想 − 水平と垂直の効果

瞑想 「訓練された状態」 自己同一性が 粗大なエゴから 微細な魂(ソール)へ 元因的な自己(セルフ)から 非二元的霊(スピリット)へと移行する運動をさす。

水平的という意味は、垂直の発達段階のどの段階においても起こり得るから。

長期的に見ると、瞑想は、4年間で平均2段階の垂直的発達を促す。

 

すべてを一緒にして − 3つのS

東洋と西洋を一緒にすると、左上象限において、3つのSに到達する。Shadow, State, Stage

最も重要な様相である。

心理学の研究者 ゾーン2の意識の発達の構造−段階、早い段階におけるゾーン1の影によるダメージを発見していた。 

観想的な伝統 ゾーン1のおける意識の訓練された状態の深みに到達し、どうすれば状態−段階をあがっていくことができるかをわかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7章 「私たち」という奇跡

個人と集団の間の関係とは、どのようなものなのか?

 

ガイアと「生命の網」

問い:社会それ自体は、固体なのだろうか? 個人が有機的な組織であるとすれば、社会もそうであるのか? ガイアとは有機的な組織なのか?

 

最も洗練された理論家 個体のホロンと社会のホロンの両方のリアリティを認め、「この両者の関係は、正確に言えば、どのようなものなのか」

 

 答え:人気のあるもの−「生命の網」全体論的な網の連続体。 

    よく見られるホリスティックな序列 量子的事象 原子 分子 生化学的構造 神経インパルス

                     ニューロン ニューロンの集合 脳 意識 文化

 

 ホリスティックな序列を統制するルール すべての定位のレベルは、下位のレベルが出現して後、はじめて出現する。意識と文化は突然最上位に出現する。それらは分子や原子と同じ序列には入らない。

 

@    個人(個体)と社会(集団)は、どちらかが、どちらかの上位に来るものではない。同じ次元。

A    個人(個体)と社会(集団)は、それぞれ内面と外面の次元を持つ。これら4面はそれぞれが等価。

 

個人のホロン 支配的単子を持つ。すべての下位要素を組織したり、統制したりする単子がある。

                                                        私が立ち上がれば、100%の細胞が直ちに立ち上がる。

社会のホロン 支配的単子を持たない。あなたと私が話す時、そこには、「私たち」、社会ホロンが形成される。社会は、100%従ったりする支配的単子を持たない。

                          社会は、有機体が細胞から作られるようには作られていない。

個人と社会のホロンは、相互に関係しあいながら、生起する。

 

AQAL理論 社会と個体とは、同時に起こっている事象、異なった側面である。ある視点からは、事象は個人と見え、別の視点から見れば、集団に見える。右上は個人(個体)で、右下は社会(集団)である。左側の上下は、内面(意識)であり、右側の上下は、外面(物質)である。この4つは同時に起こる。

 

 

 

 

どちらかが上になるという単一な序列ではなく、個々のものが互いに進化するというのではなく、同一のものの相関的な次元である。個体のホロンは4つの象限をすべてを所有する。他のホロンは、4つの象限から見ることができる。

 

社会も内面と外面の次元を持つ。

単なる内部と、内面には違いがある。脳の内部−新皮質、神経組織、細胞、分子、原子。

                                                           脳の内面−主観性、意識、感じ、衝動、認識、思考等

社会システム、ホロンにも、内部と内面の違いがある。同様に、外部と外面の違いもある。

 

社会は個人に還元されず、単なる個人は網の目にはならない。個人とは、その世界内存在の次元である社会システムのメンバーである。

 

社会も個人もそれ自身としてあり、それ自身でありながら、互いに分かちがたく結びついている。

 

「私たち」 スピリットは特にここに輝いている。

 

ゾーン34に入る−私たちとは超−私ではない

個人と社会は、大きな違いがある。

個人のホロンは支配的単子を持っている。社会は、相互共鳴の支配的な様態を持っている。しかし完全にグループをコントロールすることができない。

 事例: 個人(個体)がそのメンバーとしてグループに適合するためには、そのグループが使っている基本的なコミュニケーションと共鳴していなければならない。同じ波長をとる。

 

同じ波長をとるとは、シニフィァン(意味を与えるもの)の交換ということだけではないが、右下の

象限にある。それは、シニフィエ(意味)、相互共鳴という内面をもち、左下の領域である。

 

グループ、社会ホロンのメンバーになったということは、一つは、この相互共鳴の方法をマスターしたということ。これをしたくないという人は、周縁化される。

 

時に支配的な共鳴の様態は、単に便宜的な場合もあり、時には深い意味を持つこともあり、ときには生存のため、時にはゲームや暇つぶしのためでもある。

支配的な相互共鳴の様態は、どのようにグループが作動しているかにかかっている。

グループ、集団、社会には、不変の、一定の構造−段階はない。グループは、それ自身、あらゆる異なったパターン、規則に従う。

一見して、段階があるように見えるのは、社会ホロンの中で言説を実行している個人の支配的単子の言説に従うからである。

社会ホロン自体は、必ずしも垂直の発達をしない。集団が巨大な有機体であるというのは混乱した考えである。

集団の発達の局面や循環はあるが、ぼやけていて、包括的である。

 

「私たち」というのは「私を超えたもの」ではない。あなたと私は話し始め、共鳴し、分かち合い、理解する時、「私たち」が形成される。しかし「私たち」というのは、もう一人の「私」ではない。

 

集団を一定の構造−段階にしたがって発達、成長させようとするためには、どうしたらよいのか考察する必要がある。一定の教育を施工するだけでは、困難である。

「私たち」の見え方と感じ

内側と外側

内部と外部

 

外側 それがどのように見えるか。三人称的・第三者的な見方。

内側 どう感じるかということ。第一人称的

 

構造主義 内面のホロンを外側から見た時、どのように見えるかの一例

現象学  内面のホロンが内側でどう感じられるのかの例。私の直接な経験、一人称の衝動、欲望、感覚、イメージなど。

 

記号論 − 「私たち」の外側からの見え方

文化のホロンに対する外側からのアプローチは、ゾーン4として纏めることができる。

記号学、系譜学(ニーチェからフーコーまで)、書記法研究、最も重要なものとして記号論がある。

最も明白で世俗的な例はエスノメソドロジー(民族感覚的方法論)であり、暗黙の規約、慣習、社会的相互行動の規則を研究する。

 

解釈学 − 「私たち」の感じ

「私たち」の内側からの見方 ゾーン3 学問領域は「解釈学」

シニフィエ(意味されるもの)の塊がある。意味論であり、欲求であり、共有された感情、ヴィジョン、欲求、葛藤、などの空間であり、愛と失望、義務と破られた約束、相互理解と裏切り、人生で「大事なこと」と呼ぶほとんどすべてのことのアップ・アンド・ダウンである。感じ取られる関係の網である。

いかに、私があなたを理解できるか、どのようにあなたと私が「私たち」を形成するのかを研究するのが「解釈学」である。

理解しあうためには、同じ波長であること。その為には、私たちは共有される理解と解釈の結合体(ネクサス)を形成する。

ネクサスは、エイジェンシー(行動単位)をもつ。ネクサス・エイジェンシーは、さまざまなタイプのネクサス・コミュニオン(行動単子の交流)のなかにおかれる。

ネクサスは、文法、コード、構造、パターンを持つが、その構造は、ネクサスのメンバーである「私」が共有する構造からなる段階の中にある。それはゾーン2の段階に似たものとなる。

この「私たち」は、あなたと私がお互いに理解をし、愛し、憎み、多くの点で自分の存在の一部と感じる不思議なもの。

 

解釈学 その本質は、理解すること。言葉に共鳴し、2人の「私」を「私たち」に変換する。この相互理解の活動が解釈学である。主体を、相互主体に結合させる活動。

 

間主観性 主体と客体を変化させる。間主観性が生み出す世界の質感は左下象限の世界にある。「私」という存在の、あらゆるレベルにおける「世界内存在」の、次元であり、光景である。

 

マーティン・ブーバーの「我と汝」 

 

二人称におけるスピリット

AQALの理論では、4象限は、上と下へ無限の広がりを持つ。スピリットが顕現する時どの象限でも現れる。

一人称のスピリット 私−私であり、私の中の目撃者として、あらゆる瞬間に存在する。

二人称のスピリット 偉大なる汝であり、私が愛と献身と無執着をもって、ひざまずくべき神である。

          それは今、ここで輝くように、私より偉大なるものとして、今、ここの深みを開示する。

三人称のスピリット 偉大なるそれ、システム、「生命の網」であり、存在それ自体の偉大なる完成・完全性である。今、この瞬間の、そしてあらゆる瞬間の真如[ありのままの姿]

          である。

 

まだ見えない近代以後の革命

左下象限 間主観性を見ることの難しさ

 

ゾーン2とゾーン4の方法論無しには、私たちの世界内存在の次元が失われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8章 あまりにも明白な世界

右側の世界

外面の上下象限と、それが近代、近代以後の世界におけるスピリチュアリティとどのように関わるのかに関して言及する。

 

右上象限 客観的な個別の有機体の研究領域 「それとしての有機体」の領域を内部(ゾーン5)と外部(ゾーン6)から見る世界

右下象限 客観的な集合としての有機体の研究領域

 

ゾーン6 − たとえば行動主義と経験論

3−P×3−P×3P 三人称の見方を何度も繰り返した見方で、一人称的なリアリティがなくなってしまう。

右上の象限で犯す2つの誤り

1.絶対化すること − 近代性 2.否定すること − ポストモダニティ

 

AQALの立場

 左上、右上両方ともリアルであり、同じように重要である。相関関係にある。すべての意識の状態に対応する脳の状態がある。同じ出来事の異なった次元であり、どちらかに還元することはできない。

どちらかの次元で、どちらかを説明することはできない。

 問題は、ほとんどの科学的アプローチが、右上象限絶対主義に陥り、内面のリアリティを、付随的、二次的な生産物であるかのように見做すこと。

 

 4象限は相互関連性を有している。

 意識の研究に関連する、ゾーン6の研究領域は、神経生理学、脳内生化学、遺伝子研究、脳波および脳内状態に研究など。

 

脳の状態(右上象限)と心の状態(左上象限)

さまざまな脳内状態の研究が、確かに対応する意識状態と関連する脳の特徴的状態を発見しつつある。

 MRI(磁気共鳴影像法)、PET(陽電子放射断層撮影法)等

AQALのアプローチは、脳と心の状態とその関係(および、その間主観的な背景)を説明するとき、非−還元主義的なものであるということ。

 

神は実在するのか?

サイン(シニフィアン+シニフィエ)               実際の言葉 「カーリー」

シニフィアン(シニフィエに意味を与える物理的な音や視覚的な文字) 言葉や音

シニフィエ(シニフィアンによって、心に表象される内容)      心に浮かぶ内容

レフェラン(シニフィアン+シニフィエによって指し示されるもの)  実際の犬「カーリー」

 

実際にカーリーを見れば、それが実在し、単なる創造の産物であるとは思わない。シニフィアン「カーリー」は実在する。

異なった現象世界は、新しい意識の発達によって現れてくる−存在するようになる。

システム理論 「ターコイス」あたりで発生し、「オレンジ」いかでは見ることができない。

グローバルシステムは存在するが、「ターコイス」にならないと見ることも生み出すこともできない。

 

自分の意識が元因状態にある人は、シニフィアン「空」は、実際のリアルなレフェランである。

      非二元の状態          「至高神」

    「仏性」

 

AQALのアプローチ

 何かが実在するかどうかを知りたい場合、その主張がなされる状態ないし段階に行き、自分で見なければならない。それをしないならば、自分の理解力を超えているので、語るべきではない。

 

ゾーン5−認知科学および自己生成的(オートポイエティック)な有機体

客観的な個体(有機体・・・人間)の内部の光景に対する外部からの見方(3−P×1−P×3P

事例:カエルの主観的−認知的な世界において、何が認知されているのかを再構築する。客観的な言葉で記述しようとした。

 

生物は、自律的で、一貫性を持ち、自己生成的な実体である。この自己生成的な有機体(生物)が、世界を認知し、世界を生み出す。単に所与の世界を受け取っているだけではなく、それが近くしている世界を共に創造しているのである。

 

認知科学と、それに関連する自己生成的なアプローチは、意識とスピリチュアリティの統合理論に非常に重要である。左上象限の事象に関する右上象限の相関関係をカバーする。.

 

神経現象学−ゾーン5とゾーン1の架け橋

意識に対する一人称的なアプローチと、三人称的なアプローチによって生成されたさまざまなデータの同時追跡の重要な研究。

 

ゾーン7−社会的な自己生成やガイアは存在しない

社会システムとは、個体(個人)から構成されているのではない。個人間のコミュニケーションから構成されているのである。「生命の網」の中身は、個体ではなく、個体間のコミュニケーションである。

社会(社会文化)ホロンは、個体のホロンと、その相互活動(コミュニケーション交換もその一つ)から構成されている。

「私たち」は、お互いに交換するコミュニケーション、相互活動から構成されている。それが「私たち」の内面である。

有機的個体としてのガイアは存在しない。クラブとしてのガイアは存在する。個体をそのメンバーとするガイア的な集合体は存在する。ガイアの内面を構成する中身は、コミュニケーションのホロン階層的なネットワークである。

右下象限の物質(音、動作、視覚的イメージ)的なシニフィアンと、相互に共鳴する左下象限のシニフィエの階層的なネットワークなのである。

ゾーン8−ダイナミック・システム理論とカオス/複雑系理論

社会(右下象限)のホロンは、そのメンバーと交換される「人為的に作られたもの」で構成されている。交換のネットワークは、外部からも内部からも、観察することができる。

社会ホロンを外部から観察する。生命の網は、入れ子上の階層性をなしているということ。

                        入れ子 箱などを、大きなものから小さなものへ順次に重ねて組み入れたもの

 部分的な見方であり、現実の8分の1しか見ていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第9章 コンヴェア・ベルトとしての宗教

「コンヴェア・ベルト」と呼ばれる問題。内面の象限が直面している最も大きな問題。

この問題の解決は、近代、近代以後の世界において、宗教の驚くべき新しい役割を示す。

 

ナチの支配

世界の人口の50%〜70%が、自民族・集団中心的か、それ以下の発達段階にいる。はっきり言えば、世界人口の70%はナチスである。

 

どんな人も、発達段階の最初から道を歩むということ。ナチから始まるということ。

 

世界の大宗教の重要な役割・機能 人間に、古代、呪術、神話の波長(段階)を提供する。

すべての人間は、最初の一歩から生まれ、そこから古代、呪術、神話、そしてそれ以上に発達していく。人間の発達にとって、必要な不可避の乗り物。

 

現代の世界 意識の発達ラインが、近代の「オレンジ」、そしてある程度まで「グリーン」にまで発達。この垂直ラインの構成要素が生み出す衝突は激しい。

「オレンジ」かそれ以上の高いレベルは後−慣習段階であり、世界中心的である。それに対して「アンバー」かそれ以下は、人種中心で、慣習的で順応的である。

 

「レッド」「アンバー」「オレンジ」の地層が、他の地層にたたきつけられて、激しい衝撃をもたらしている。

 

テロリズムのサイコグラフ

『テロリズムの顔』 オーム真理教徒の地下鉄サリン攻撃 9.11のムスリムのテロリズム等

同じサイコグラフを持っている。「アンバー」の信条に、「レッド」の自己。認識の枠組みは「アンバー」、神話メンバーシップ段階、順応的で、伝統主義。自己の重心は「レッド」にある。

  彼らは「アンバー」を語るが、実際の行動は「レッド」である。

  彼らの主張は、近代(「オレンジ」)の世界の中には、私の聖なる(「アンバー」)信条が受け入れられる余地がない。

 

「オレンジ」の圧力鍋のふた

人々は、古代から、次第に「グリーン」の多元主義、さらにはその後の統合(「インディゴ」)段階、さらに高次の段階へと発達、成長していく。

 

「アンバー」から「オレンジ」へと発達する時に天井にぶつかる。

「アンバー」の神話は、近代以前のもので、「オレンジ」の合理性は現代世界、科学のもの。

スピリチュアルな知性は、「アンバー」で凍結してしまい、「オレンジ」の知性の表現手段を見つけることができない。

 

自民族・集団中心的な、原理主義的な信仰 VS 世界中心的な理性と、後−習慣的な倫理

世界の学生の直面している残酷な選択

アメリカの学生の79%がスピリチュアリティを、人生に大事であると考え、4人に3人までが祈りを捧げる。

「アンバー」で生きて、キリストを信じるのか、「オレンジ」に移行して、キリストを捨てるのか。

現在の教育は、スピリットに関してのアプローチを幼児化している。

 

レベルとラインの混同

近代合理性が神話的な神の死をもたらした。スピリチュアルな知性ラインのすべてを否定してしまった。ラインのある段階を、ラインそのものと混同する間違い。

先端的な社会ホロンの言説という支配的モードは、欠陥のある「オレンジ」のレベルにある。

 

近代性の尊厳と災難

近代性 価値領域の文化を前提 芸術、科学、倫理の3つが分化し、独自に真理を探究するようになった。「分化」が「分離」に至ってしまった。そして科学技術的な合理性の急速な発達のため、他の分野が犠牲にされた。

何故分離が起こったのか?「究極的な関心事は何か」に答えるスピリチュアリティのラインが近現代西欧では損なわれた。倫理と芸術が入れ替わった。

 

 究極の関心を左右するものは、宗教から科学へと置き換えられた。しかし科学は神の存在、絶対の問題、なぜ私たちはここにいるのかという究極の問題に対しては不可知論、沈黙であった。

 

スピリチュアルな知性の脱−抑圧

ラインとレベルの混同による凍結を解凍するには、抑圧と固着の両方を見ていく必要がある。

抑圧 「オレンジ」の合理性は、「アンバー」のスピリチュアリティへの憎悪を緩めること。

固着 「アンバー」のスピリチュアリティは自民族・集団中心的な神話の固着を緩め、スピリットの表現を世界中心的な理性および後−慣習的な愛として見ることから始めて、より高度なスピリチュアル知性に自らを開く必要がある。

 

宗教だけが人間の成長の段階を進める「コンヴェア・ベルト」の役割を果たしうる。

1.世界の宗教は偉大なる神話の貯蔵庫である。人間の発達の初期段階は、古代(アルカイック)、呪術、神話段階の特色を持っている。宗教の神話体系は、発達のこの段階に語りかける。人類は、これらの段階とともに始まったものであり、人間の内面的な資源の偉大な貯蔵庫である。

2.宗教は、人類自身の「マジェンタ」「レッド」「アンバー」の段階から始まっているため、正統性を持っている。それ以上の高次の段階を、それ自身の伝統の名において裁可することができる唯一の権威の源泉である。

 

人類の聖なる「コンヴェア・ベルト」としての役割を果たすこと、これが現代および近代以後の世界について、宗教が果たす最も重要な役割であろう。

 

 

発達の段階は人生の駅

 人はどこの段階で止まろうと、それはその人の自由であり、権利である。ある人は「レッド」や「アンバー」で一生を終える。しかしそれぞれの段階で止まる人に対して、常に語りかけ、更にその高次へと続いていく。宗教だけが、このスペクトルを運び、人生の多くの段階、人生の駅へのコンヴェア・ベルトとなり得る。

 宗教だけが、今世界を覆い、その内面を窒息させようとしている「鋼の天井」を突き破ることができる。

 

高次の段階のみならず高次の状態も

宗教は、高次の段階を獲得可能にするという役割だけでなく、観想的な状態をその訓練の核にするということ。どの段階でも、スピリチュアリティのある側面は獲得可能である。

 

スピリチュアルな伝統(宗教)が、早く高次の段階と高次の状態を提供できるようになればなるほど、宗教が近代および近代以後において、早く新しい役割を持つことができる。それがあまねく人類を運ぶ偉大なるコンヴェア・ベルトという役割である。

 

ご供養 読経三昧     これらを推進していくことである。

手取・導き・法座

ご法の習学

 

偉大なる宗教だけが、その本質的な物語と本質的なスピリチュアリティを、「オレンジ」またはそれ以上の段階に運ぶための正当性を付与することができる。

 

これは困難なことである。主な原因は、レベルとラインの混同にある。

 

個人の信者たちを、「アンバー」から「オレンジ」への地平に導くことが、特に緊急な課題である。

左上象限(個人の内面) 個人は自民族・集団中心的な信仰から世界中心的な信仰へと移行する必要がある。これは社会的な役割を基礎としたアイデンティティから、個人を基礎としたアイデンティティへいいこうする困難な変容である。個人は、世界中心的な倫理的立場をとることができる。

 

右下象限(社会の外面)の「制度」は、右上象限(個人の外面)の個人の行動決定を助ける。特に必要なのは、具体的な社会(分化)システムにおいて、人生の駅を具現させる制度である。

 

この制度とは一体どういうものなのだろう?心、霊性の開発を進める制度とは?自己中心から、集団中心へ、そして世界中心へと成長させる制度とは?

 制度 制定された法規 社会的に定められている仕組みや決まり

    RKKとして組織的に定めた教育の仕組みや決まりと理解することができる。

 教育制度 自己中から集団中心へ、そして世界中心的な成長へと導く教育制度を構築すること。

 佼成会の教えは、既にそのように構築されている。整理し、再び教育制度として、全世界へと施工して、実施していけばよい。

10章 統合的生活実践(インテグラル・ライフ・プラクティス ILP

AQALは実在に対する理論的なアプローチである。

実践的なアプローチ、統合的なアプローチの実際のプラクティス(実習、実践、訓練、修行等)はどうなのか。『進化の構造』1.2に紹介された枠組みに基づき、完成されたもの。

 

「統合的生活実践」の構成要素

 4つの核となるモジュールと5つの付随的なモジュール、多くの選択的なモジュールから構成されている。

 基本的なルール それぞれのモジュールから好きなものを一つ選び出し、同時に実践していく。

         「クロス・トレーニング」は成長を加速させ、健全な発達をさせ、変容的な生き方に対する力量を深める。

  モジュール 訓練可能な人間の能力のさまざまな側面、象限、ライン、状態、タイプ等。

 

 ILPでは4つのコア・モジュールを推薦する。左上象限の3つのS(影、状態、段階)の訓練と、右上象限の「3つの身体」の訓練に焦点を当てている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.インテグラル・フレームワーク・モジュール

 認知的な共−認識のモジュールで、AQALの枠組みのこと。一度学べば、心の中に複合的な視点をとることができるようになる。

 認知のライン ほかのすべての主要なラインに対して必要なラインである。認知の枠組みがより統合的包括的になれば、人生はより充実した、より完全なものとなっていく。

 

 

2.スピリチュアルまたは瞑想のモジュール

特に瞑想ないし観想の「状態」の訓練をさす。

 

3.321プロセス、あるいは影のワークのモジュール

自分自身の「影」に対するワークは、欠かすことができない。

 

4.3つの身体のワークアウトのモジュール

粗大、微細、元因の3つの身体のエクササイズ。

 

5.倫理

左上象限の後−慣習的な倫理の意識を、右上象限の行動とリンクさせる。

 

6.セックス、あるいは性的ヨーガ

 恋愛関係のタントラ的(秘儀的)な側面に焦点を当てる。

 

7.世界における仕事、あるいはカルマ・ヨーガ

 自分の仕事や制度(組織内)的な行動をILPの不可欠な部分と見做していく方法。

 

8.感情の変容

否定的な感情を、対応する叡智に変容させていく訓練。

 

9.人間関係

個人の最も重要な関係を、変容の手段とするだけでなく、統合的な意識の表現の場と見做す。

親子関係、恋愛関係、結婚生活。

 

AQALマトリックス

マトリックスを作る最もまっすぐな方法は、人間の歴史で、最も広く使われてきた方法を認めること。経験論、現象学、行動主義、瞑想、解釈学、システム理論等。そして今あなたが持っていることに加えること。基本的で、時間の試練に耐えた方法論による結果を尊重し、それらを一貫した枠組みの中に纏めてみること。

できるだけ視界を広げ、できるだけ高い視野を持つこと、そして統合的な多元論に立って、すべてを包含すること。

 

課題

1.悟りとは一体何か?定義できるものなのか?

2.瞑想は重視されているが、菩薩行に対する考慮が欠けている。

3.悟りとは状態なのか、段階なのか?仏教、特に大乗仏教における、声聞、縁覚、菩薩のそれぞれの境地は段階ではないのか。

4.色が進化しているという事実。