カウンセリング概論T−2 

 

カウンセリングの研究法

1.        理論学習

2.        事例研究

3.        体験学習 自分がカウンセリングを受ける

 

カウンセリングの態度 参照『カウンセリング概論』P.

    評価的態度  (Evaluative)

    解釈的態度 (Interpretative)

    診断的態度 (Probing)

    支持的態度 (Supportive)

    理解的態度 (Understanding) 

カウンセリングの態度としてはこの理解的態度をもってクライエントに接する。

大切な点としてchecking my understanding という姿勢。自己の理解の検証であり、チェックしてもらう相手はクライエントである。

あなたの話しをこう理解しましたとクライエントに話しチェックをしてもらう。

クライエント自身が自分との対話を進めていく、自分の心のメッセージを聞いていくというプロセスを支え、その手伝いをすることがカウンセラーの役割であり、その役割を果たしていく上で、理解的態度が基本。

 

カール・ロジャーズとカウンセリングについて

 ロジャーズの人生と不可分のものである。こういう人で、このような人生を歩んだからこそカウンセリングが生まれた。

 フロイトも神経症に悩んでおり、ユングも中年以降分裂症的傾向があり、そうした経験からそれぞれ特有の方法が生み出されていった。

 ロジャーズにおいても同様に、少年時代自分らしく生き生き生きられなく抑圧的な家庭環境の中で育ち、そこから自分を取り返していく努力がなされていった。彼にとって、人生の危機は、自分らしさの発見、自己実現の契機となっている。

 

ロジャーズの遺伝的資質について

・フロンティア精神

  カウンセリングとは、新たな自分自身に生まれ変わっていくプロセスであり、混沌としたものから出発し、自己を発見していく過程である。

 

・6人兄弟の4番目 5人が男という構成

  親の目が届きにくく、放て置かれ易い。ぼっとしていて、空想癖があり、ストーリーを創っていたという。

  このことが、後に物事を全く別の角度から見ることができ、新たな理論を創る素地になっていた。

 

・宗教的雰囲気

  「巧妙で、愛に満ちた支配」と表現される家庭の状況。

 ロジャーズ家の伝統として、選民思想と勤労の美徳があった。

  選民思想と同時に、人間は「罪深い存在」であるという考え。これはロジャーズのその後の人生に極めて大きな影響を与えた。

    

環境的要素

 「私は表面的な接触しか持てない社交性のない人間でした。この時代に抱いていた空想は奇妙でしたし、診断を受けていたら分裂質と分類されていたでしょう」

   孤独ということも、自分との対話の能力を磨く大切な事であり、カウンセリングの本質にもつながるもの。

 

ロジャーズの「転機」について

 <青年時代>

  「中国への旅」 ロジャーズにとっての分岐点となったもの。

          家族との宗教的絆の断絶のきっかけとなる。

    キリスト者としての変節がなされる。

「イエスは神ではなく人間であり、史上最も神に近づくことができたひとりの人間」という結論に達する。

 

                「この時から、僕の人生の目標、価値、目的、目標は自分自身のものになったのだ」。

 

          *学生結婚 家族の反対を押し切り結婚。 彼の生涯における至高体験の一つ

となった。

 

                 *神学から心理学へ

     牧師志望から心理臨床家への転身。キリスト教絶対主義、教条主義からの決別。

 

   → 児童相談

      児童相談所での経験。この頃はかなり支持的なもの。しかし「環境療法の重視」という側面は後のロジャーズの基本理念が形成し始められている。

      里親制度の活用。大半の子供は、よい環境が与えられれば、自ずと健康になる力を発揮していくという生来の成長力を信じる姿勢。

      

   → クライエント中心療法 「決定的な学習体験」p.60

      「先生、ここでは大人のカウンセリングはやっていないのですか」

      不毛のケースヒストリーではなく、本当のセラピーが始まった。

 

          ランク派から受けた決定的な影響

       J.タフト 最も直接的な影響を受けた1人

        「このセラピィの主な価値は、その人自身が持っている成長へ向かう傾向を信頼し、それを妨げないようにするという新鮮な考えにある」

 

         「関係療法」 目標は過去の経験の分析や理解ではなく、治療関係そのものにあることを明確にしている。

 

    『問題児の治療』デビュー作。

すべての治療的アプローチに共通なものの探求

客観性―適度な同情の力や、純粋で受容的な関心を注ぐ態度。

共感的理解

個の尊重―独立へ向かう個としての子供自身に責任を委ねる。

無条件の尊重

       自己理解―セラピストが自分の情緒的なパターンや限界を理解する

                                      自己一致

                           心理学的な知識―人間の行動やその決定因についての知識

 

    セラピストの力を決めるのは、最初の3つで「態度、情緒、洞察」といった領域。

 

 四.クライエント中心療法の誕生 p67

   「心理療法の新しい諸概念」というタイトルでミネソタ大学で講演。

    1940年12月11日=「クライエント中心療法誕生の日」

     この新しいセラピィの目的は 

(1)個人の成長を援助することにある。その結果、問題に対して、より統合された仕方で対処できるようになる。

    人間そのものが変わっていく。自力で問題を解決していく。

(2)知的な側面よりも、情緒的な要素、感情的な側面を強調する。

                                        考えるのではなく、感じる。

      (3)その人の過去よりも現在の状況を強調する。

 

                        (4)治療関係そのものを重要な成長体験として強調する。

                                       関係そのものが大切であり、相手を心底から尊重する。

 

 『カウンセリングとサイコセラピィ』(ロジャーズ三大著作の一つ)

                        『クライエント中心療法』

                        『人が“ひと”になるということ』

   二つの画期的な点

   (1)「クライエント」という言葉を使う。

      自発的な依頼者

(2)カウンセリング全体の逐語記録そのままを史上初めて活字にし公開した。

「ハーバートブライアンの事例」

 ロウ・データ(生のデータ)に基づくさまざまな実証研究を可能にし、はかりしらない利益をもたらす。

 

 五 ロジャーズ全盛期を迎える。その直後に「中年期の危機」の訪れ P78

    シカゴ大学時代の12年間が全盛期。

     カウンセリングセンターの運営・発展

     医学部との対決、そして勝利

     技術から態度へー相手のあるがままの世界を尊重し、理解し、受容するという「態度」を強調。

 

   「中年期の危機」

     40代半ばから後半の時期に二つの大きな危機を迎えた。

    (1)インポテンツに見舞われた

                            この時期のロジャーズは、本来の生活リズムを崩してしまわざるを得な

いほど多忙な毎日を強いられていた。

    (2)分裂病の女性クライエントとの出会い

                           自信喪失と自己放棄。自分にとって破壊的な関係。

       

   この危機から立ち直った経緯

    自分の育てたスタッフのオリバー・ボーンのセラピィを受け少しずつ立ち直

る。自分を価値ある人間、自分を好きな人間だと思えるところまで回復。

 人に愛を与えることばかりでなく人から愛をもらうことも、以前より恐れなく

なった。セラピィでもより自由になり、もっと自然に自分の感情をストレートに表現できるようになった。

 

この「中年期の危機」は、ロジャーズがより深く「自分自身になっていく」上で

極めて大きな意味を持っていた。個人生活においても、セラピィにおいても、自分の弱さを自分のものとして認め、受け入れることができるようになっていくための大きなきっかけとなった。

 

   「一致」の強調 P91

       『クライエント中心療法』

文体の変化 「著者は」から「私は」

理論面では、「一致」の強調。カウンセラーがクライエントとの関係における自分の感情に気づいており、必要があればそれを言葉にして表現できること。P92~93

 

   必要十分条件説の完成とそこに見る彼の個性 P93

   『カウンセラーが「無条件の肯定的配慮」「共感的理解」「一致」という三つの特

質を満たした態度でクライエントにかかわっていくならば治療的人格変化は必

ず起きる。それ以外のもの、たとえば学歴、資格、知識、技術といったものは必

ずしも必要ない』

 大胆で挑発的な人物

 性格の「硬さ」

 

 

五〇を過ぎて哲学に目覚める

 キルケゴール、ブーバー、サルトル、ホワイトヘッドらの著作に親しむ

 キルケゴールとの出会いを「最もイクサイティングな発見」とする。

 彼の書き手としての幅を広げ、大衆にアピールする著者になっていった。

 

六 ロジャーズ、生涯最大の挫折を味わう P101

  ウィスコンシンでの挫折

大学での七年間、職業生活での最も苦痛に満ちた時期。

 

  外部での華々しい活動

 

  『人が“ひと”になるということ』の大ヒット、一躍スターに

   1961年六冊目の本。

 

七 個人セラピィからエンカウンターグループへ、そして世界平和のために

   実際に始めたのは1964年。

   「もっと親密になりたい、人とふれあいたい」という欲求。

   「もっと自分の感情を信頼し表現できるようになる」「もっと危険をおかして関

係の中に入っていけるようになる」という自分自身の人間として成長を果たしていく上で必要なものであった。

 

 大学という拘束の多い職場から脱け出し、エンカウンターグループの実践に没頭する中で、より執われのない、自由な人間に成長していく。

 

  人間研究センターの設立

   管理者のいない「非組織(non-organization)」を目指す。

 

  六〇代、七〇代の苦渋

   家族関係を中心とした個人的な生活は、苦渋に満ちたもの。

    娘の夫との不仲。夫の自殺。

    長男の妻との不和。妻の自殺。

    兄弟との関係もよくない。

    妻との関係の悪化。

   結果として、アルコール中毒、仕事中毒。

 

  七二歳で恋におちる

   六〇歳を過ぎてから「結婚」という制度に対して懐疑的な態度をとるようになる。

   『パートナーになること』

     性の自由を論じるだけでなく、実践する。七〇歳近くになり、セックスに興味を覚え始めた。

 

  世界平和にむけて

   政治・経済領域での思索と実践。『パーソナルな力』。

八 スピリチュアルな次元への目覚め

  残された最後の課題

   彼が本当の意味で“自分”になるための最後の課題とは、何らかの仕方で自らの

  スピリチュアリティと折り合いをつけること。

 

  トランスパーソナリストとしてのロジャーズ

   1970年代前半、70歳を越えたあたりから、死の問題を意識し始める。

   『ある人間の在り方』神秘的でスピリチュアルな次元の持つ意義を過小評価してしまった。

      死の前年の論文では、「共感」「無条件の肯定的配慮」「一致」と並ぶもう一つの条件として「プレゼンス」という超越的でスピリチュアルな次元の概念を提示。

      「変性意識状態(altered state of consciousness)」とは?

 

    スピリチュアリティに影響を与えた二つの出来事

     (1)大規模なエンカウンターグループで、参加者全員が「ひとつ」となり、宇宙意識の一部であると感じられるような体験。

(2)妻ヘレンとの離別の際の神秘体験。

「死ねばすべて終わり」と考えていたロジャーズはその死生観を大きく変えられる。

    あらゆるタイプの心霊現象に関心を抱き始めた。

 

  スピリチュアリティの深まりと「新しい宇宙観」

   1978年から83年にかけて神秘の世界への関心を深めていった。

   「その時、私のうちなる自己が、クライエントのうちなる自己とふれあいます。私の意識的な心が決して知ることのないような仕方で。これは、ある種の神秘体験なでしょうかね」

 

   現代物理学や化学の最先端の考えと矛盾しないもの。

   「ある種の超越的な組織化する力(a transcendent organizing influence)」が働いていてその働きは人間の中にもある、このような新しい宇宙観と調和するような仕方でこれからの人間は生きていかなくてはならない。

 

  八五歳を迎えて

   1987年2月4日、85歳の生涯を終えた。心臓発作。

   「静かなる革命家」にふさわしい静かな最後。今の「自分」を受け入れながら、満足して死を迎えた。

    ロジャーズのアプローチは、彼自身の長い癒しと自己変容の過程の中で生まれ、発展し修正を加えられたもの。

 

ロジャーズの人生を概観してみると、社会的にはカウンセリングの理論と実践によって多大な貢献をしてきたが、個人的生活、特に家族との関係においては、凄惨なものとなっているのではないかという印象を受ける。 

  しかし、それがスピリチュアリティの開眼を受けて昇華されているように思われる。