仏教とカウンセリング

ー東西思想の邂逅―

【藤田清のケース】

                                中央学術研究所

                                大山隆一郎

<はじめに>

 この時代は何処へ向かっていこうとしているのか。個人、家庭、社会、国家、世界、そして地球というそれぞれのレベルで異常事態が進攻している。

私の友人・知人のお子さんが統合失調症になり、またパニック障害に陥っている。家庭においては、離婚、DV、児童虐待、姑との問題で悩んでいる人がいます。職場においても、うつ病が増加しているようですし、本当に現代の社会が病んで行っているのを、ごく身近に実感している。

特に近代化の急速な進行で作り上げられた現代社会において、その巨大機構の中で、個人の尊厳が著しく喪失してきている。非人間化の過程を歩んでいるとも言われている。

こうした時代の閉塞状況に対して、これらの重要課題を正面から捉え、解決策と同時に予防策を提示しているものの中に、仏教とカウンセリングがある。

 

<仏教とカウンセリグ>

 仏教は2500年程前にインドの誕生した宗教である。それが、シルクロードを伝わり、中国、朝鮮半島を経て、日本に6世紀に渡来して以来、現代に到るまで、その時代に応じてさまざまな変容を遂げている。そのさまざまな彩りに驚かされ、それらをすべて仏教と呼んでいいものかという疑問も生じるほどである。しかし、それが仏教の特質であるとも指摘されている。

仏教の目的は、苦悩や不安の解決が出発点にあり、そして個人の人格の完成であり、社会の融和浄化である。

カウンセリングは、アメリカで誕生した心理学の専門領域である。アメリカにおけるカウンセリングの起源は、20世紀初頭に起こった、職業指導運動、教育測定運動、精神衛生運動の三つの運動に求められるといわれている。これらの運動は時とともにアメリカ全土に広がりを見せ、学校におけるガイダンス活動を促進するに到った。産業カウンセリング、臨床カウンセリングなど、個人的問題の解決に援助を与えるための方法体系が発達して行くきっかけとなっている。

 その後、40年代頃から、カウンセリングは一つの新しい展開を示す。ロジャーズ(C.R.Rogers)の登場により、クライエント中心の心理療法が主流を形成していくようになる。

 日本にも戦後、ロジャーズの著書が邦訳され、カウンセリングが紹介され、教育ガイダンスに活用され、大学を中心に、学生相談所が開設され、全国的な広がりを見せていく。そして昭和30年代以降、カウンセリングの団体も結成され、著書、論文、研究報告等も公表され、日本におけるカウンセリングの実践と研究におおきな方向付けを与えるようになる.現代においては、カウンセリングが一つのブームのような感を与えるような時代となっている。

カウンセリングの目的は、苦悩や不安の解決だけでなく、自己実現を目指すものとなっている。カウンセリングとは「生涯発達の過程において、発達的・適応的な問題を抱えた人(クライエント)に対して、専門的な訓練を受けた援助者(カウンセラー)が、安定した人間関係を基礎に、主に言語的コミュニケーションを通して、クライエントの認知・感情・行動の諸側面に働きかけ、クライエントの問題解決や自己実現を促進する活動」であると定義し、発達的観点からカウンセリングを捉え、自己実現を目指すものとなっている。

 さらに、最近では、マクロカウンセリングが提唱され、個人レベルから、集団レベル、それも国際レベルでのカウンセリングが研究されてきている。

 日本においては、戦後、仏教とカウンセリングが邂逅した。これが仏教カウンセリングの誕生の契機となっていくのである。

 

<東西思想の邂逅―比較思想の意味>

過去の歴史においても、比較という精神的営みは真理を探求するうえでなされてきた事実である。別に目新しいものではない。しかしながら、現代ほどグローバルなレベルで諸思想の、特に東西の思想の比較検討が必要とされている時代はなかったであろう。

 現代に到り、運搬・通信技術の飛躍的な進歩により、グローバルな時代となり、人の交流、情報のやりとりが短時間のうちになされ、私たちの日常生活そのものが東西の交錯のうえに成立している。私たちが居住しているこの地球は、宇宙船地球号とも呼ばれ、あらゆる地域の事柄がひとつの共同体の如くに、知られるようになっている。この共同体に住する民族は様々である。しかし、「人間は人間である限り、同じような苦しみや悩みを持つとともに、同じような高い理想を志向して努力する。その限りにおいては、いかなる民族にも本質的な相違はない。思想的な問題は、東西に共通である」。この考え方が「比較思想」の前提となっている。

 峰島旭雄(敬称略)は『比較思想をどうとらえるか』の中で、「比較思想」のワーキングハイポセシスとして、「東西思想を比較して、その類似と相違を摘出する」ことをあげ、この背景には、人間の本質的構造が横たわっていると指摘する。それは、「内から私どもの生存の根底から、湧き上がるように現出する」ものであるという。

 日本においては、古来、そしてとりわけ近代(明治期以降)には、「比較思想」ということは避けて通れない、精神的営みの問題であり課題であった。換言すれば、日本思想史においては、神仏儒、キリスト教、西洋思想というように、さまざまな思想の層が輻湊した形で事実性として現前し、それらを何らかの仕方で整理、統合し、そして対決し、融合し、自己のものとなしつつ、生き死にするということである。

 思想に関してさまざまな見解があると思われるが、ここでは、従来のように概念構成の精緻を誇る体系的哲学のみを思想とするのではなく、名もない市井の人々が語られたものをも含め広義に思想をとらえたい。つまり、現実に生きている人間にとり、己の精神的諸問題、社会的実践の問題の解決に資する思想そのものを対象にする。形骸だけの死物同様の思想ではなく、人々の心に浸透する生きた思想でなければならない。思想とは、一つのものの見方、考え方であり、それは実践を規定するものであり、また実践を通して修正されるものでもある。

 川田は、「比較思想」の課題は、「自他の吟味と位置づけである」とする。ここでいう自とは個人として、国民として、そして世界人類の一員としての自己のことである。他とはこの自と種々の関係にたつものである。この自他の吟味と位置づけをするためには、次に説明する六つの段階が必要とされる。

 人間は、思想的に自己を反省したとき、自国語が主体となり思想を形成しており、そして多くの思想の流れがあることを発見する。すると言葉の使用を吟味しはじめ、そこにある国語の言葉の意味とともに、影を落としている諸思想の本来の意味を探求しはじめる。この段階を解釈学的研究と名づける。

 次に諸思想を知ろうとするときに、探求されるべきものは、それらの諸思想の根底となっている形態であるとする。この形態とは、その思想が発芽し繁茂するところのもので、他の思想とは異なるものである。この根本の形態が捕らえられたときに、人間はわかったと感じるという。これを形態論的研究と名づける。

 ここで発見された根本の形態は、その思想の生命の源で、自己を展開する鋳型である。ここからその思想の歴史、系譜、系統が成立する。次に明らかにされなければならないものは、この歴史であるとする。これを歴史的研究(系統的研究)と名づける。

 このように根本形態を持ち、歴史を作っている思想は、その展開発展が区分され、まとめられている。これはその思想の体系を形成し、他の思想との違い、特質を表現している。この段階の研究を体系的研究と名づける。

 比較思想の研究は、この段階で終わりになるわけではない。研究者はさらに、労苦が多く、困難が多くとも、最終段階の研究を始め終わらせなければならないとする。最後の研究部分とは、選択的考究と問答的研究である。

 選択的考究とは、眼前に展開する諸思想について、真理性と効用性と自己の根本体験とに照らして考究し、選択、取捨をすることである。そして、自己の足場を確定することである。しかし、取捨選択したにしても、取捨せられたものは死滅したり消滅したりするものではなく、なお生きていて自己の真理性を主張する。研究者は、絶えず、他方の思想と問答し、対話して最高の真理を模索することとなる(問答的研究)。この最高の真理との関係において、自他の位置が最終的に決定されることとなる。

 玉城康四郎(敬称略)は、「比較思想」の原点であり、同時に終結であるものは、全人格的思惟に裏打ちされた思想の比較であるとする。

 全人格的思惟とは、対象的思惟と対をなす、人類にとっての普遍的な思惟方法であるとする。対象的思惟とは科学的認識で代表されるもので、主観・客観相対において成立する、きわめて一般的な思惟である。それに対し、全人格的思惟とは、頭も心も、知性も感情も、そして身体もまた、全人格体が一体となって営まれる思惟である。

峰島は、「比較思想」とは、「東と西の思想を比較し、その類似と相違を明らかにし、それを通じて自己自身の思想を確立する営みである」と定義している。

 

 <藤田清における比較思想―仏教カウンセリングの形成>

 藤田清は、日本において、仏教とカウンセリングを比較考察し、実践的観点からも検討を加え、「仏教カウンセリング」の形成の先達である。

 藤田の仏教的立場は『般若思想史』に基づいている。彼によれば、「ほんとうにあらゆる存在が何らの実体性ももたないことを知る空の智慧の体得を目標とする般若思想の根底は、縁起観、すなわちすべては依り起こってあるという見方にある。そして縁起とは基本的には『働きかけるもの』と『働きかけられるもの』との関わりにおいて考えられる。とすれば、能所縁起、すなわち主体()としての『働きかけるもの』と、それを受け止めるもの()としての『働きかけられるもの』との相依関係の正しい理解こそ、般若思想の根元である」。この仏教的考え方が藤田の基本的立場である。

 一方、藤田のカウンセリングにたいする理解は、「科学的カウンセリング」と呼び、それは大きく三つに分けられている。一つは支持的方法、二つには非支持的方法、三つめは折衷的なものである。指示的方法はカウンセラー中心に、認知、行動の面において指示を与え治療に資する方法であり、非指示的方法はクライエント中心に、自己理解を援助するものである。折衷的方法は、文字通り、指示、非支持の折衷であり、あれかこれか二分するものではないとする立場である。

 こうした理解のうえで、藤田は縁起観からカウンセリングを捉えている。結論的には、「能所縁起の正しい理解に立つカウンセリング、私の言う仏教カウンセリングは、一般のカウンセリングとは根本からことなるもの」と明言する。

 その理由として、藤田は、「仏教カウンセリングとは、よく考えてみると、カウンセリングもクライアントとカウンセラーとの両者からなっている。この両者がなければカウンセリングは成り立たない。両者は一見別個の存在のように見えるが、クライアントがなければ、カウンセラーもないわけであり、カウンセラーがなければ、クライアントもないわけである。こう考えると、両者はまさしく縁起性のものであるといわなければならない。つまり、カウンセラーとクライアントの関係は、同時に成立し、同時に消滅する関係であるから、カウンセラー中心の指示的方法ということでもなければ、その反対のクライアント中心の非指示的方法ということでもない。それでは中間的・折衷的かといえば、それでもない。なぜなら、これもまたその根底に能所の対立を前提とする考え方があるからである。」とする。

では、三者共に否定された場合のカウンセリング、つまり仏教カウンセリングは具体的にはどういうことになるであろうか。藤田は、「その第一のあり方は、三者のいずれにもこだわらないということである。いずれでもないということは、裏返して言えば、いずれでもよいということにもなるであろう。カウンセラー中心でもない、クライアント中心でもない、折衷でもないということは、いずれにもこだわらないということであり、言い換えればいずれでもよいということである。この場合、どれも、勝手に取ればよいと考えられるかもしれないが、決してそうではない。カウンセラーはクライエントの欲するところで対話を進めなければならない」とする。

 藤田は、釈尊の説法のあり方「応機説法」を仏教カウンセリングの理想とする。それは3段階に分けられる。まず第1は、相談方法であること。第2は、まず相手の立場にたち、相手と同じ方向に議論を進め、その際しばしば同一用語を用いること。第3に、議論の過程において相手の立場が崩れ(その矛盾が明瞭となり)、その結果として相手は自分の立場に止まることができなくなり、おのずからより高次の立場に進みそこの新しい視野が開け、かっての問題が自然に解消していくこと。

 カウンセリング的に表現すると、カウンセラーとクライエントを相依・相関のものと見、クライエントの立場に立ち、クライエントと同一方向に進みながら、自然にクライエントの立場の矛盾を明らかにすることによって、クライエントを新しい視野に立たせ、問題を解消させていく。藤田はこれを「否定的啓発法」と名づけている。

繰り返しになるが、藤田にとり、仏教の縁起観は、カウンセリングの問題に即していえば、カウンセラー中心の指示的方法を否定し、クライアント中心の非指示的方法を否定し、それらの中間の折衷的方法をも否定し、その否定をも否定しながら、しかも、いずれの方法にも固執せず、それらを時処位に応じて自由に使い分けることを可能にするものである。それゆえ、仏教カウンセリングのカウンセラーは、それらの三つの方法のいずれにも精通することが必要となる。

藤田は、仏教カウンセリングは、科学的カウンセリングを使っていくのでなくてはならないとする。仏教カウンセリングに当たるものは、科学的カウンセリングに精通していることが望ましいとする。

しかし藤田は、仏教カウンセリングは、真に仏教者たることによって可能となるのであって、科学的カウンセリングに精通することが、直ちに仏教カウンセリングを可能にするものではないことも明言している。

「科学的カウンセリングの何たるかを知らなくても、古来、真の仏教者はみな仏教カウンセリングを実践してきたのである。この点は厳密に区別されなければならない。したがっていかに仏教に近似していても、仏教カウンセリングと科学的カウンセリングとを混同することは許されないのである。」とする。

仏教カウンセリング体系の確立へ向けて、藤田は、「私たちは仏教カウンセリングの研究を通じて、仏教と科学との関連について絶えず考えさせられてきたのであるが、科学は能所の相対観に立ち、仏教は能所の縁起観に立つという点において立脚点を異にしている。しかし、両者は単に無関係に併存しているわけではなく、仏教者の立場からいえば、科学は人びとを究極の安らぎへ導くための手立てとして、仏教の教化活動に必要であり、科学を含む諸学の習得に努めずしては、真の仏教者たり得ないのである。これを仏教カウンセリングの上で具体的にいえば、科学的カウンセリングのカウンセラー中心の指示的方法、クライアント中心の非指示的方法、中間の折衷的方法のいずれにも精通し、機に応じて自由に対応し得るに至らなければならないということになるであろう」と繰り返している。

藤田は、能所縁起観に立つカウンセリング体系なるものが存在し得るか、その体系がどのようなものであるかはについては、未解決の問題であり、それは、科学的カウンセリングに精通し、これを能所縁起観に立って正しい手立てとして用いるとき、そこにおのずからにして生まれてくるものが、一つの学問体系としての仏教カウンセリングではないかと考えている。

 

<結び>

 比較思想という観点から、仏教とカウンセリングがどのように、藤田清のなかで、思想として確立していったのか考察してみた。仏教カウンセリングと科学的カウンセリングを対置し、比較検討し、融合というよりも、止揚したかたちで自己の思想として統合していることが理解される。

 

 

 

参考・引用文献

水野弘元『釈尊の生涯』春秋社 

伊藤博『新訂カウンセリング』誠心書房 1966年

井上孝代編著『マクロカウンセリング実践シリーズ』川島書店 2004年

中村元『思想をどうとらえるか』東書選書 1980年

   『比較思想論』『古代思想』中村元選集 春秋社 1974年

峰島旭雄『比較思想をどうとらえるか』北樹出版 1988年

    『西洋は仏教をどうとらえるか』東京書籍 1987

梶芳光運監修『東西思惟形態の比較研究』東京書籍 1977年

和辻哲郎『続日本精神史研究』 和辻哲郎全集第4巻 岩波書店 1962年

玉城康四郎『比較思想論究』講談社 1985年

藤田清『仏教カウンセリングの基礎づけのために』佼成カウンセリング研究所1992年

 

 

止揚 ヘーゲルの用語 事象は低い段階の否定を通じて高い段階へ進むが、高い段階のうちに低い段階の実質が保存されること。矛盾する諸契機の統合的発展。