P.ブリュデュー
1930年、フランスのダンガンに生れる。高等師範学校を卒業後、哲学の教授資格を取得、リセの教員となるが、1958年、アルジエリア戦争に徴兵される。戦後はアルジェ大学助手、パリ大学助手、リール大学講師を歴任し、主に民族学的研究を行う。1964年、社会科学高等研究院の教授・研究主任に就任、教育文化社会学センター(現在のヨーロッパ社会学センター)を主宰し、精力的に社会学の共同研究を展閉し始める。1981年、コレージュ・ド・フランス教授に就任、現在に至る。フランスを代表する社会学者として独自の方法論・概念を駆使しながら、従来の社会学の枠組を越える学際的研究活動を展開。『再生産』『ディスタンクシオン』『ホモ・アカデミクス』等の著作、自ら編集する雑誌『社会科学研究学報』などで、多方面に多大な影響を与え続けている。
ブリュデューの立場は、「構築主義的構造主義、もしくは構造主義的構築主義、あるいは「発生構造主義」ということになる。これは、構造主義が基本的に、礼会を無意識.暗黙のうちに律している客観的(諸)構造を抽出し、解明することに満足するのに対して、そうした(諸)構造がいかに構築され、いかに発生するのか、そのメカニズムを解明しようとする立場と、おおまかに定義できるであろう。客観的諸構造は、個人(生物学的個体)に身体化されることによって、個体内部の心的諸構造を産出するが、逆に客観的諸構造を支え、再生産するのは、個体内部の心的諸構造ないしそれに立脚した実践に他ならない。他方、この循環的メカニズムの現状は、そのメカニズム内部で不断に繰り広げられる個体間の闘争の歴史的産出物なのである。要するに、一方で(諸)構造があり、他方に実践がある、この両項の間の幾層ものレベルにわたる複雑な関係を、共時.通時の両態において解明しよう、というのである。思潮史的なとらえ方をするなら、彼の問題意識は、人間というものを「構造の単なる付帯現象」、「自分の手の届かない機械的な法則に従って動く自動人形」に還元してしまう嫌いのある構造主義的アプローチから脱却し、主体的・実践的契機を取戻そうということになろうが、ただし、一方で、構造主義のもたらした成果を無視して、社会の営みを、純粋な個的主体の行為の集合に還元してしまうような、絶対的主観主義に逆戻りすることなしに、それを行なおうとするのである。個人とか主体とかいう言葉を排して、行為者という語を用いるのは、ここから来る。個々の行為者は、まさに全面的に社会的に形成されており、言わば個別化された〈社会的なもの〉に過ぎない。しかし、ゲームの規則を知り尽くしたプレイヤーが、その規則と戯れつつ、時に思いもよらぬ「新手」を生み出すことがあるように、行為者が己れのハビトゥスに従いつつ、不断に戦略を立てることによって産出していく実践は、その都度自由なる創案を示すのである。このような考えに立てば、個人と社会的なもの、自由と社会的決定という二律背反は、現実性を失い、偽りの対立でしかなくなる。ここにかつてサルトルか提唱しなから、自分で逸脱させてしまった気味のある「状況の中の自由」の概念が、もしかしたらとり得たかも知れない形を見ようとするのは、訳者の思い込みが過ぎるということになるだろうか。(p324)